兵食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 22:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事の参考文献は、一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼っています。信頼できる第三者情報源とされる出典の追加が求められています。(2015年5月)
|
この記事の主題はウィキペディアにおける組織の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。(2015年5月)
|
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | ![]() 〒651-0082 兵庫県神戸市中央区小野浜町13番1号 |
設立 | 1948年12月28日 |
業種 | 倉庫・運輸関連業 |
法人番号 | 9140001002444 ![]() |
事業内容 | 冷蔵倉庫業、通関業 |
資本金 | 1億円 |
主要子会社 | 兵食運輸、エッチ・ケー食品、宇野国際貨運代理有限公司 |
外部リンク | www.hyoshoku.co.jp |
株式会社兵食(ひょうしょく、英文名称HYOSHOKU CO.,LTD.)は、兵庫県に本社を置く冷蔵倉庫会社。
沿革
- 1948年12月 - 兵庫食糧倉庫株式会社設立、倉庫事業開始
- 1955年1月 - 神戸灘冷蔵庫(1968年に売却)にて冷蔵倉庫事業開始
- 1956年12月 - 大阪市に木津冷蔵庫新設
- 1972年8月 - 摂津冷蔵庫株式会社を吸収合併(倉庫は1981年に売却)
- 1977年月 - 明石市に明石冷蔵庫新設
- 1982年6月 - 六甲アイランドに、六甲アイランド冷蔵庫新設
- 1987年10月 - 神戸製鋼所と合弁で、株式会社ツインフーズ設立
- 2015年11月 - 木津冷蔵庫の営業を終了
- 2017年2月 - 明石冷蔵庫の営業を終了
- 2017年10月 - ツインフーズを合併
- 2018年4月 - 尼崎冷蔵庫増設(自動倉庫新設 12,000トン)
- 2019年1月 - ウノシッピングを合併
稼働中の倉庫
- 五突冷蔵庫 神戸市中央区小野浜町13番1号 28,000トン
- 六突冷蔵庫 神戸市中央区小野浜町14番4号 13,000トン
- 六甲アイランド冷蔵庫 神戸市東灘区向洋町西2丁目 30,000トン
- 七突冷蔵庫 神戸市中央区小野浜町9番61号 8,000トン
- 八突冷蔵庫 神戸市中央区小野浜町9番96号 28,000トン
- 東部冷蔵庫 神戸市東灘区深江浜町10番 13,000トン
- 尼崎冷蔵庫 兵庫県尼崎市南初島町12番12 36,000トン
- 市川冷蔵庫 千葉県市川市東浜1丁目1番1 30,000トン
関連会社
- エッチ・ケー食品株式会社
- 兵食運輸株式会社
- 宇野国際貨運代理有限公司
参考文献
- 神戸の中堅170社 1991年日本経済新聞社刊 ISBN 978-4532140090
外部リンク
- 株式会社兵食 - 公式WEBサイト
兵食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 09:01 UTC 版)
「地方(「娑婆」を意味する軍隊用語)」生活と異なり特に身体や頭を使う軍隊生活において、日々の食事は食欲のみならず娯楽の観点からも特に大事な要素であった。そのため帝国陸軍の兵食には戦前の日本人が特に慣れ親しんでいた和食のみならず、洋食・肉食を積極的に取り入れた数百種類のメニュー、おやつ(デザート)といった嗜好品、飽きさせない副食の設定がされていた。 当時の大日本帝国の一般庶民、特に大多数を占めた第一次産業従事者の生活水準は総じて低く、また昭和期においても多くは伝統的な日本の生活を営んでいたため、徴兵により軍隊に入営(入隊)するそれら庶民層の新兵にとって、カツレツ・コロッケ・ハンバーグ(挽肉油焼)・フーカデン・ロールキャベツ(玉菜巻)・ビーフステーキ・オムレツ(ヲムレツ)・カレー(カレー、ライス/ライスカレー)・シチュー(スチウ/シチウ)・ドーナツ・フレンチトースト(焼パン牛乳かけ)といった「地方」生活と異なる帝国陸軍の豪華な食事・洋食は、兵舎のベッド(寝台)や本格的な洋服(軍服)と共に新鮮なものであった。 一例として、のちに「兵隊作家」となる棟田博は、昭和恐慌当時の1929年(昭和4年)1月から1930年(昭和5年)11月にかけて現役兵として在隊していた岡山歩兵第10連隊の兵食事情について、以下の如く懐古している。 「あの時代の一般家庭の食事にくらべると、たしかに当時の軍隊の食事は上等であり、ご馳走の名にふさわしいものだったと思う」 「こういう時代背景を思いあわせると、軍隊の兵食は、眉に唾をつけて聞きたくなるほどのゼイタクであったといえる」 「ぼくは、じかに聞いたわけではないが、Aは同年兵の仲良しに洩らしていたそうである。こんなうまいもの(たぶん、トンカツとかコロッケであったろう)は、うちの者は口にすることがない。わしだけこうして食べるのが辛い、と」(同じ内務班の初年兵Aについて) 情報量の少なかった戦前において、日本全国津々浦々への「国民食」の普及という観点からすると本書の影響は大きかった(#炊事場・調理員)。『軍隊調理法』および兵食について作家の山本七平は「おふくろの味という言葉があるが、当時の軍隊食は、まさに日本的平均おふくろの味であった」と、伊藤桂一は「元兵隊だった人たちは、この本の料理を通じて、当時を郷愁し、話題をゆたかにされるだろう」との言葉を残している。また、「天皇の料理番」こと秋山徳蔵が少年期当時に家業の関係で訪れた鯖江歩兵第36連隊将校集会所で初めて口にしたカツレツの味に衝撃を受け、これをきっかけに西洋料理人を志し、のちに宮内省大膳寮司厨長(宮内庁管理部大膳課主厨長)となったことが知られている。 なお、改訂昭和12年版『軍隊調理法』の前書きに 本書ハ軍隊兵食調理ニ關スル一般ノ原則竝標準ヲ示セルモノナルヲ以テ、之カ實施ニ當リテハ部隊ノ性質、土地、氣候、物資、設備、嗜好等ニ應シ適宜斟酌ヲ加ヘ克ク其ノ實状ニ適應セシムルモノトス — 『軍隊調理法』 とある通り、『軍隊調理法』はあくまで合理的な参考レシピであり、帝国陸軍においては同じ料理であっても各部隊等によってある程度の独自性・個性がありバラエティ豊かなものであった。
※この「兵食」の解説は、「軍隊調理法」の解説の一部です。
「兵食」を含む「軍隊調理法」の記事については、「軍隊調理法」の概要を参照ください。
兵食と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- >> 「兵食」を含む用語の索引
- 兵食のページへのリンク