妙頂寺 (広島市) 歴史

妙頂寺 (広島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 05:46 UTC 版)

歴史

日遊の開基で創建。天文20年(1551年)頃、現在の安芸高田市から現在地に移転した。昭和20年(1945年8月6日広島原爆で伽藍を焼失した。爆心地からの距離はおよそ550メートル。2014年平成26年)最上堂が開堂した。

文化財

その他

  • 境内には被爆した石灯篭や墓石が残る。
  • 広島平和記念資料館に妙頂寺の被爆が保管されている。
  • 広島平和資料館所蔵の原爆の絵(上藤軍六画)によると原爆投下の翌日の8月7日には妙頂寺山門前に黒焦げの遺体が積み上げられたという。
  • アメリカ戦略爆撃調査団のチーフカメラマン、ハーバート・スッサンにより被爆直後の妙頂寺が撮影されている。

歴代

脚注

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関連資料

  • 日蓮宗新聞 平成26年(2014年)2月11日
  • 岡本安正『傘寿追懐』広島中央印刷(1999年



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