ルネサンス期のイタリア絵画 後世への影響

ルネサンス期のイタリア絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 03:53 UTC 版)

後世への影響

ミケランジェロもティツィアーノも16世紀半ば過ぎまで活動していた。晩年になるとどちらの画家もそれまでの、レオナルド・ダ・ヴィンチ、マンテーニャ、ベリーニ、ダ・メッシーナ、ラファエロらとは異なった作風の絵画を描くようになった。この作風が次世代以降の画家に受け継がれ、ルネサンス後期様式ともいえるマニエリスムとして発展していく。そしてマニエリスムは、徐々にではあるが、感情のほとばしりを表現した高度な技術が要求されるバロックへと移行していった。

ティツィアーノの作品に見られる寓意表現をさらに推し進め、発展させたのは、わずか10日ほどティツィアーノに弟子入りしたティントレット(1518年 - 1594年)である。さらにルネサンス期のイタリア絵画がもたらした革新は、全ヨーロッパに広まっていった。バロック期のオランダ人巨匠レンブラント(1606年 - 1669年)の自画像にも、ティツィアーノとラファエロの作品からの影響がみられる。レオナルドとラファエロ、そしてその直弟子達の作品も、バロック期のフランス人画家ニコラ・プッサン(1594年 - 1650年)の世代の画家たちや、18世紀から19世紀にかけての美術様式である新古典主義の画家たちの作品に影響を与えた。ダ・メッシーナの作品はドイツ人画家アルブレヒト・デューラー(1471年 - 1528年)、マルティン・ショーンガウアー(1448年 - 1491年)に直接的な影響を及ぼし、版画家でもあったショーンガウアーの版画作品は、20世紀初頭に至るまで、ドイツ、オランダ、イングランドのステンドグラス作家の作品に数え切れないほど模倣されている[20]

ミケランジェロの『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』は、最初に同時期の芸術家ラファエロとその弟子たちに大きな影響を及ぼし、その後、新たな人物造形を追求していた16世紀の画家たちにまで影響を与え続けた。ミケランジェロの人物造形を模倣した芸術家として、イタリア人画家アンドレア・デル・サルト(1486年 - 1531年)、ポントルモ(1494年 - 1557年)、パルミジャニーノ(1503年 - 1540年)、ブロンズィーノ(1503年 - 1572年)、パオロ・ヴェロネーゼ(1528年 - 1588年)、スペインで活動したギリシア人画家エル・グレコ(1541年 - 1614年)、アゴスティーノ・カラッチ(1557年 - 1602年)をはじめとするイタリアのカラッチ一族[注釈 16]、イタリア人画家カラヴァッジョ(1571年 - 1610年)、フランドル人画家ルーベンス(1557年 - 1640年)、イタリア人画家ティエポロ(1696年 - 1770年)らが挙げられ、さらに18世紀から19世紀の、フランス人画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年 - 1825年)ら新古典主義、フランス人画家ドラクロワ(1798年 - 1863年)らロマン主義の画家たちにいたるまで、数世紀にわたってミケランジェロは絵画界の巨人であり続けた。

ルネサンス期のイタリア絵画は、地元イタリアのウフィツィ美術館のみならず、ロンドンのナショナル・ギャラリー、パリのルーヴル美術館、ベルリンのアルテ・マイスター絵画館など、世界中の一流美術館の重要作品として所蔵されている。また、現代も続くロンドンのロイヤル・アカデミーなど、多くの美術学校の設立にも大きな影響を与えた、美術史上非常に重要な作品群である。


注釈

  1. ^ ヤーコポ・ベリーニとその息子ジェンティーレジョヴァンニら。
  2. ^ サセッティはメディチ家の銀行の重職にあり、コジモ・デ・メディチの側近だった人物である。
  3. ^ 『画家・彫刻家・建築家列伝』にはジョットが弟子入りした経緯をはじめ、ジョットとチマブーエとのエピソードが多く書かれているが、そもそもジョットはチマブーエの弟子ではないとする説もある。(Hayden B.J. Maginnis, "In Search of an Artist," in Anne Derbes and Mark Sandona, The Cambridge Companion to Giotto, Cambridge, 2004, pp.12 - 13)
  4. ^ もともとはニコ・グイダロッティが自身の墓所として建てた礼拝堂だが、後にトスカーナ大公コジモ1世が、スペインのトレド出身の妃エレオノーラ・ディ・トレドにこの礼拝堂を与えたことにちなんで「スペイン人礼拝堂」と呼ばれるようになった。
  5. ^ ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』では、マサッチオがマソリーノの画家であった可能性が指摘されている(第2版 p.295)。しかしながら、現代の美術史家たちはこの二人の作風の相違から、この説に懐疑的な研究者が多い(Luciano Berti, "Masaccio 1422," Commentari 12 (1961) pp.84 - 107)。
  6. ^ ダヴィデ・ギルランダイオの兄ドメニコ・ギルランダイオ、弟のベネデッド・ギルランダイオも著名な画家である。
  7. ^ マンテーニャは1460年にマントヴァ侯ルドヴィーコ3世の宮廷画家に迎えられている。
  8. ^ 「スキファノイア」は「(俗世の)面倒ごとからの逃避」を意味し、実際にスキファノイア宮殿には厨房のような存在してしかるべき設備がなかった。このため食事はすべて外部から運び込まれていた。
  9. ^ 聖ヒエロニムスには、シリアでライオンの脚に刺さった棘を抜いたという伝承があり、生涯そのライオンがヒエロニムスのもとを離れなかったとされる。このためヒエロニムスをモチーフとした絵画には、ライオンがその象徴、寓意として描かれることが多い。
  10. ^ メディチ銀行の重職フランチェスコ・サセッティ、ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ夫人ルクレツィア・トルナブオーニなど。
  11. ^ 左翼最前列にひざまずいて祈る人物が制作依頼者のポルティナーリ。
  12. ^ 画面左上から右へと順番に、隠者に身を変えた悪魔が石をパンに変えるようにそそのかす場面、悪魔がエルサレム神殿の屋根から飛び降りるようそそのかす場面、最後に悪魔を崖下へと退ける場面が描かれている。
  13. ^ ユリウス2世(在位1503年 - 1513年)とレオ10世(在位1513年 - 1521年)の肖像画。レオ10世の肖像画には後にローマ教皇クレメンス7世となる枢機卿ジュリオ・ディ・ジュリアーノ・デメディチも描かれている。
  14. ^ プロトゲネスのモデルは画家ソドマ(1477年 - 1549年)とする説もある。しかしながら当時のソドマは30歳代であり、描かれている白髪のプロトゲネスははるかに年齢が上に見える。当時ソドマよりも著名だったペルジーノは60歳代で、ペルジーノの自画像と『アテナイの学堂』のプロトゲネスには共通点が多い。また、ティモテオ・ヴィティ(1469年 - 1523年)という説もある。
  15. ^ ジョルジョーネはジョヴァンニ・ベリーニの弟子といわれ、ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』ではティツィアーノはジョルジョーネの弟子だったとされている。しかしながら17世紀のイタリア人バロック画家、伝記作家カルロ・リドルフィは、ティツィアーノもベリーニに師事していたとしている。
  16. ^ アゴスティーノ・カラッチの弟アンニーバレ・カラッチ、従兄弟ルドヴィコ・カラッチ、息子アントニオ・カラッチら。

出典

  1. ^ eg. Antonello da Messina who travelled from Sicily to Venice via Naples.
  2. ^ a b c d e f g h i j Frederick Hartt, A History of Italian Renaissance Art, (1970)
  3. ^ a b Michael Baxandall, Painting and Experience in Fifteenth Century Italy, (1974)
  4. ^ Margaret Aston, The Fifteenth Century, the Prospect of Europe, (1979)
  5. ^ O'Malley, John (1986). The Theology behind Michelangelo's Ceiling in The Sistine Chapel, ed. Massimo Giacometti p.112
  6. ^ Keith Christiansen, Italian Painting, (1992)
  7. ^ John White, Duccio, (1979)
  8. ^ a b c d e Giorgio Vasari, Lives of the Artists, (1568)
  9. ^ All three are reproduced and compared at en:Thematic development of Italian Renaissance painting
  10. ^ a b Sarel Eimerl, The World of Giotto, (1967)
  11. ^ Mgr. Giovanni Foffani, Frescoes by Giusto de' Menabuoi, (1988)
  12. ^ Helen Gardner, Art through the Ages, (1970)
  13. ^ Baptistry of Florence
  14. ^ a b c d R.E. Wolf and R. Millen, Renaissance and Mannerist Art, (1968)
  15. ^ A. Mark Smith (2001), “The Latin Source of the Fourteenth-Century Italian Translation of Alhacen's De aspectibus (Vat. Lat. 4595)”, Arabic Sciences and Philosophy: A Historical Journal (Cambridge University Press) 11: 27 - 43 [28] 
  16. ^ a b Ornella Casazza, Masaccio and the Brancacci Chapel, (1990)
  17. ^ Joan Kelly Leon Battista Alberti. Universal Man of the Renaissance. University of Chicago Press, 1969;
  18. ^ Annarita Paolieri, Paolo Uccello, Domenico Veneziano, Andrea del Castagno, (1991)
  19. ^ Peter Murray and Pier Luigi Vecchi, Piero della Francesca, (1967)
  20. ^ a b c d Diana Davies, Harrap's Illustrated Dictionary of Art and Artists, (1990)
  21. ^ Ranieri Varese, Il Palazzo di Schifanoia, (1980)
  22. ^ Ilan Rachum, The Renaissance, an Illustrated Encyclopedia, (1979).
  23. ^ a b Hugh Ross Williamson, Lorenzo the Magnificent, (1974)
  24. ^ Umberto Baldini, Primavera, (1984)
  25. ^ a b c Giacometti, Massimo (1986). The Sistine Chapel 
  26. ^ a b T.L.Taylor, The Vision of Michelangelo, Sydney University, (1982)
  27. ^ Gabriel Bartz and Eberhard König, Michelangelo, (1998)
  28. ^ Ludwig Goldschieder, Michelangelo, (1962)
  29. ^ See, for example Honour, Hugh; John Fleming (1982). A World History of Art. London: Macmillan. p. 357.
  30. ^ David Thompson, Raphael, the Life and Legacy, (1983)
  31. ^ Jean-Pierre Cuzin, Raphael, his Life and Works, (1985)
  32. ^ Olivari, Mariolina (1990). Giovanni Bellini 
  33. ^ Cecil Gould, Titian, (1969)





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