システィーナ礼拝堂壁画
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「システィーナ礼拝堂壁画」の解説
1477年にローマ教皇シクストゥス4世は、バチカン宮殿付属の手入れが十分になされずに放置されていた礼拝堂の改築を開始した。この礼拝堂はシクストゥス4世の教皇名(伊: Sisto IV)にちなんでシスティーナ礼拝堂と名付けられ、内部装飾として内壁中央までのフレスコ画16点、さらにその上部に歴代教皇の肖像画を描く計画が立てられた。 1480年にフィレンツェで活動していた芸術家、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ドメニコ・ギルランダイオ、コジモ・ロッセッリ らにシスティーナ礼拝堂の内装壁画制作が依頼された。フレスコ画の題材として「旧約聖書」から「モーゼの生涯の物語」、「新約聖書」から「キリストの生涯の物語」が選ばれ、それぞれの物語を補完する絵画も同時に描かれることになった。『キリスト誕生』と『モーゼの発見』が主祭壇に隣接した壁面に描かれ、その間には『聖母被昇天』の三連祭壇画が置かれていた。これらの絵画はペルジーノの作品だったが、後年ミケランジェロが『最後の審判』を描くにあたって失われている。 現存する12点のフレスコ壁画から、システィーナ礼拝堂壁画に携わった画家たちが高度な技術の持ち主であったことと、それぞれの作風も技法も全く異なっていたにもかかわらず、協調して壁画制作にあたったことが見て取れる。フレスコ画には男性、女性、子供、さらに天使から古代エジプトのファラオや悪魔にいたるまで数多くのモチーフが描かれており、これらを描きあげた画家たちの才能すべてが凝縮されている。すべてのフレスコ画には背景として風景画が描かれているが、これはそれぞれの画家たちが人物像の大きさをそろえようとしたためであり、余った画面上部に風景と空が描かれることになった。風景画部分に主題とは別の場面が小さく描かれているフレスコ画もあり、ボッティチェッリの『らい病者の浄め』には『キリストの誘惑』三景が画面上部に描かれている。 ペルジーノの『聖ペテロへの天国の鍵の授与』は、その構成の明快さと平易さにおいて特筆すべき寓意に満ちた美しい作品で、群衆の中にはペルジーノの自画像も描かれている。町並みの描写には透視図法が用いられており、背景の二つの凱旋門はペテロがローマの大司教であることを、中央の八角形の建物は洗礼堂、あるいは古代ローマの霊廟を象徴している。
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