事前準備と修復手法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/19 14:46 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂壁画修復」の記事における「事前準備と修復手法」の解説
@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti>.thumbinner{width:100%!important;max-width:none!important}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:none!important;width:100%!important;text-align:center}} 修復前のミケランジェロの天井画『原罪と楽園追放』の拡大画像。煤などの汚れで色彩はほとんどモノクロームになっており、画肌表面にはひび割れが生じている。過去の修復時に描画層を固定するために挿し込まれた金属製のピンが汚れとなって浮き出ている。その他、硝酸カリウムの結晶と後世に描き足された箇所もみられる。 修復後の『原罪と楽園追放』の拡大画像。色彩は鮮やかさを取り戻し、ひび割れや金属製のピンの跡は隣接する箇所と調和する色調で埋められている。画肌表面の色調のはっきりとした明暗がより細かなひび割れを浮きあがらせている。ただし硝酸カリウムによる円形の汚れは完全には除去できていない。 1979年にコラルッチは、システィーナ礼拝堂フレスコ画の正しい修復方法を求めて何度も実験を繰り返した。最初に実験に使用されたのは マッテオ・ダ・レッチェが描いた西壁面のフレスコ壁画『モーセの遺体をめぐる争い』のわずかな部分だった。これは『モーセの遺体をめぐる争い』に使用されている素材や技法が、ミケランジェロが天井と主祭壇に描いたフレスコ画と共通している部分が多かったためである。同様の実験はミケランジェロがルネットに描いた「エレアザルとマタン」でも実施された。 天井画に関してはその高さのために事前調査が困難だった。修復作業の開始が決定されて天井まで届く足場がシスティーナ礼拝堂に組上げられるまで、修復チームも天井画にどのような損傷や問題があるのかが完全には判断できなかった。コラルッチは、当時の修復チームは個々の箇所の修復方法を決定するよりも、科学的解析と調査担当者から問題としてあがってくる報告への対応に追われていたとしている。 1980年にシスティーナ礼拝堂フレスコ画の全面修復が決定し、日本テレビが修復作業の独占撮影権と引き換えに420万ドルの資金を提供した。
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