SP大隊とは? わかりやすく解説

SP大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 20:24 UTC 版)

秘儀及び所謂疑似科学に対する行動」の記事における「SP大隊」の解説

後にこうした摘発停止されたが、第三帝国期におけるオカルト疑似的科学への弾圧がすべて終了したわけではなかった。しかし、戦争目的合致しナチズムイデオロギーにあまり抵触しないような特定の活動について継続することが認められており、このようにして迫害されていたオカルティスト科学者たちは、ナチ政権確信犯的に協力するようになっていった。ヘス作戦から数ヶ月後、SDゲシュタポによる摘発受けて逮捕された者たちの一部海軍の『SP大隊(Abteilung SP)』と呼ばれる部隊移された。SPという略語恒星時振り子である「Sidereal Pendulum」の略であり、この大隊は、海軍総司令部(Oberkommando der Kriegsmarine : OKM)に直属していたという。しかし、誰がいつこの部隊立ち上げたのか、また、海軍やその関係者がその部隊知っていたのかは、今日まで不明であり関連文書存在しない。特にゲルダ・ヴァルターとヴィルヘルム・ヴルフによる戦後目撃情報唯一の情報となっている。ヴルフの証言によると、少なくともオットー・シュニーヴィント海軍参謀長は、この実験部隊存在知っていたと述べており、この部隊設立あたったのは、海軍士官ハンス・A・ローダーHans A. Roeder)(1888-1985)と考えられている。ローダーは、1939年9月より海軍兵器局本部で「開発特許」の総顧問務めており、ヴァルターによれば、自らを「超能力者」と称していたと言われている。この部隊設立した理由一つとしてイギリス海軍ドイツ対潜作戦成功収めていたことが考えられヴァルターによるとローダーは、イギリス海軍非科学的或いは超常的な力によってドイツ側潜水艦位置把握しているのではないか疑っていたためと言われるヴァルターによればドイツも、できるだけ早く似たようなもので対抗したかった」とのことである。しかし、イギリス海軍成功した理由は、そのような非科学的なものではなく1941年5月9日U-110攻略した際に、暗号機エニグマM3」の完成品捕獲されことによる。これにより、イギリスは「ドイツ潜水艦司令部無線通信多かれ少なかれわずかな遅れで数ヶ月継続して解読する」ことに成功した戦後1941年から1944年まで海軍最高司令部作戦部長を務めたゲルハルト・ワグナー(de少将は、SP大隊の試みについて次のように証言している。 ローダー誰もが知っている存在だった。彼の仕事は、当時感覚からするとそれほど珍しいものではなかった。結局、常に新し技術考えていて、今ある方法で何かを実現できる宣言する人が現れれば、その人機会与えるのは当然のことであったからだ。 戦後、ヴルフは自らが所属していていたSP大隊を「風変わりな会社」と表現している。ベルリン本部には、自称霊媒師心霊師、タットワ研究者占星術師天文学者球技者、数学者」らが集まっていた。SP大隊の勤務部隊には、化学者特許弁護士のフリッツ・クエイド(1884-1944)やコンラッド・シュッペ(1871-1945)などがいた。クエイド1939年までドイツ科学オカルト協会D. G. W. O.)』の会長務めていたが、この協会1939年より『ドイツ形而上学協会D. m. G.)』と改称された。後にシュッペが会長務め両者とも『ヘス作戦』のなかで数週間わたって投獄され経験をもっていた。ハンス・ヘルマン・クリッツィンガー(1887-1968)は、博士号を持つ天文学者で、D. G. W. O.の元メンバーでもあり、SP大隊に所属していた。弾道学専門家である彼は、当初ドイツ空軍活動しており、1940年初めからノストラダムスの予言専門家として宣伝省勤務していた。非常に多才なクリッツィンガーは、放射線治療エキスパートでもあった。SP大隊は、明らかにD.G.W.O.の既存ネットワークから構築されたものであり、ゲルダ・ヴァルターは戦後、SP大隊の作業会議で「古い超心理学友人」と再会したと書いている。 天文学者であり占星術師であるヴィルヘルム・ハルトマン(1893-1965)は、選ばれた者の適性テスト行ったと言われている。また、オーストリア技術者であり、振り子やラジエステの研究者であるルートヴィヒ・ストラニアック(1879-1951)も、SP大隊の設立に関わったと言われている。これらの者は、1936年に「科学的振り子研究協会」を設立していたが、ヘス作戦過程禁止されていた。ストラニアックは海軍技術提供をし、最初の実験恒星振り子により戦艦位置把握成功したと言われ、この実験成功によりSP大隊が設立されるきっかけになったという。ヴルフの証言によると、敵の船団護衛艦位置確認のために、大隊隊員たちは精神統一儀式として「海図両手広げて毎日のようにしゃがみこんでいたという。また、部隊隊員が非常に異質な存在であることから、いくつかの問題対立生じた。SP大隊はかなりの活動行っていたが、軍事的に役立つ成果を出すことはできなかった。偵察成功実現しなかったことは、すべての資料証明している。ゲルダ・ヴァルターによると、SP大隊は1942年秋に解散したといわれている。1942年11月2日海軍情報部の幕僚であるErhard Maertens副提督(1891-1945)は、Erich Raeder大提督とのブリーフィングで、振り子による位置確認実験役に立たないことが判明したため、今後中止するようにと述べている。1980年出版されたスベン・サイモンの図鑑によると、シュニーヴィントの「ローダー研究所振り子実験海戦何らかの形で影響与えたことを私は一度知らない」という証言残されている。 1943年1月末、振り子位置実験携わっていた私設学者ハンス・ヘルマン・クリッツィンガーが、海軍最高司令部提案名誉教授の称号与えられた。クリッツィンガーは「戦争課題解決するのに特にふさわしい人物」の一人であった正当性認められている。それとほぼ同時期に海軍の最高司令部では、エーリッヒ・レーダーからカール・デーニッツへの海軍総司令官就任が行われていた。ボルマンは党の理論家ローゼンベルクに、今は勲章受けているクリッツィンガーがいわゆるSP大隊隊員による「奇跡」功績のために、悪い意味で名を馳せたと書いている。

※この「SP大隊」の解説は、「秘儀及び所謂疑似科学に対する行動」の解説の一部です。
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