90年代以降の女子プロレスとは? わかりやすく解説

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90年代以降の女子プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 08:43 UTC 版)

女子プロレス」の記事における「90年代以降の女子プロレス」の解説

女子プロレス団体場合後楽園ホールでの興行がビッグマッチとなる程度の規模にまで縮小している。主な理由として以下の様なものが挙げられる対抗戦による大物選手同士カード消尽された 全日本女子プロレスFMW女子部試合契機当時全ての女子プロレス団体全日本女子FMWJWP女子プロレスLLPW)が対抗戦参加して人気を博すものの、各団体思惑から対抗戦乱発されて大物選手同士対抗戦ですら日常的になってしまい、試合カード希少性失われた。また団体超えたチーム多く組まれ対抗戦から交流戦に質が変化したものの、対抗戦ほどの熱狂得られなかった。 選手主導素人による女子プロレス団体運営契約問題 全日本女子では絶対的な経営者居たが、ジャパン女子プロレス崩壊する頃から選手団体運営大きな影響与え行動見られるようになったギャラ未払いでの団体からの離脱というケースなど法的に問題の無いケースもあるが、新人から育て上げてきた選手一方的に引退団体離脱宣言をした直後に他団体試合をするなど、もはや契約成り立っているプロスポーツとは言えないよう状況発生するようになった。また経営素人である選手女子プロレス団体運営する事により、興行小規模化し売り上げ落ちた為に傘下選手達も十分な練習指導受けられない環境となり、試合レベル落ちプロ団体とはかけ離れた会社運営となっていった。 女子プロレス団体分裂小規模女子プロレス団体乱立 日本女子プロレス中心となっていた全日本女子プロレスから人気選手相次いで退団し新たに女子プロレス団体設立したフリーになる者が増えた。また団体のみならず選手単独あるいは複数ユニットによる興行プロモーション)も開催されるが、選手貸し借り恒常的に行われているため、どの興行でも参加している選手に差が見られ興行の差が乏しい。法人登記するよりも個人ないしはユニット興行開催する方が金銭的などのリスク少ないことも興行数の増加招いた認知度不足 細分化により発生した小規模女子プロレス団体資金力乏しいため移動宿泊などの経費がかかる地方巡業興行開催できない。当然、興行首都圏での開催集中してブーム去り減少したファン観客後述)を奪い合うことになる。また地上波テレビ放送全日本女子放送打ち切られ以降は、フジテレビ深夜ダリアンガールズ2009年TVS期間限定アイスリボン放送したのみである(2020年からスターダム東京MXテレビ放送開始)。スポーツ新聞などマスコミでの取り扱いごくわずかであり、東京スポーツ制定するプロレス大賞」における「女子プロレス大賞」が2004年から5年連続該当者なしであったのがその象徴とも言える新人スター女子選手生まれなかった - 高年齢選手中心運営 ほとんどの女子プロレス団体共通して発生した問題であり、ベテラン選手対抗戦ブームの際に得た知名度のため各女子プロレス団体中核となり、メインイベント出場して一線から引かなかった。彼女らキャリア積み重ねる一方で多く新人デビュー後から数年引退ベテラン選手知名度集客力スポンサーへの訴求力経営上必要であった結果として若手選手注目を浴びる機会減少していった。全日本女子はかつて「25歳定年制」を定めていたため女子選手層の入れ替え強制的に行われていた。しかし対抗戦ブームの際当時人気選手ブル中野定年免除認めて以降、同制度事実上消滅。この結果現在の女子プロレスではトップクラス選手年齢40歳前後となっており、2008年引退したデビル雅美46歳まで30年渡って現役であった世代交代進まないうちにベテラン女子選手相次いで引退したため選手層が非常に薄くなり解散追い込まれ女子プロレス団体少なくない女子プロレスの持つ華やかさ薄れて強さ激しさ求めることとなる一方で若い選手多く出場する女子総合格闘技興行増えて一部ファン流れたことも衰退の原因1つである。また他の女子スポーツ人気高くなり、女子プロレスラー志望女性少なく珍しいものとなっている。 プロスポーツ細分化 上記の話に関係するが、かつては女子プロスポーツと言えばプロレス以外にはゴルフテニスボウリング限られたものしか無く、それらはプロとして生活するには相当の投資が必要となるため何も無い状況からプロとして生活出来るのはプロレスしか無い状況だった。しかし現在はプロアマチュア垣根無くなり、どんなスポーツでもスポンサーがつけばプロとしてやっていけるためにプロレス以外の自分好きなスポーツ職業として選ぶ女性増えてきたことも挙げられる。特に柔道レスリングテコンドー等がオリンピック正式種目になったことで格闘系スポーツ志向する女性大部分五輪金メダルという大いなる栄誉得られる、それらのスポーツ流れてしまい女子プロレス界の人材確保より一層難しくする結果となっている。 ファン層変化 ビューティ・ペアクラッシュ・ギャルズスターとして活躍していた際は宝塚歌劇団様に女性ファン大半占めていた。1990年代対抗戦ブームでは男性ファン割合が高まる代わりに従来女性ファン減ってしまった。ブーム去り女子プロレス団体分裂縮小期に入ると対抗戦ブーム時の男性ファン去ってしまったためにファン絶対数激減辛うじてクラッシュ・ギャルズ長与千種中心としたGAEA JAPAN1990年代以降女性ファン多く獲得していたが参戦選手半分近くフリーに依存していたことなどが原因となり現在は解散している。 以上のことから、女子プロレス団体初心者への参入障壁高く、しかも新規ファン層取り込む機会乏しジャンルとなり、固定ファン向けの方向性進み続けている。だが最近はその固定ファンさえも、カードマンネリ化選手高年齢化から女子プロレス見限りつつある。 2010年以降細分化の末に赤井沙希アイスリボン一部所属選手、Actwres girl'Zなどが芸能界からの参入増えた。また紫雷イオによるとファイトマネーに関して新人選手に限れば男子選手よりも高額なことが多く収入比較安定しているという上向き傾向みられる2016年12月29日長与ホストとなり、さいたまスーパーアリーナで「レジェンド女子プロレス〜ファイティングガールズ〜」を開催全女プロレス団体集めるとしたが参加したのはJWPLLPW-XアイスリボンセンダイガールズプロレスリングプロレスリングWAVE、Actwres girl'Z。試合2017年2月3日フジテレビ放送された。 2020年8月には元女プロレスラータレント北斗晶呼び掛けによりAssemble組織任意による団体団結呼びかけた。

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