90年代以後のパンク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:29 UTC 版)
「パンク・ロック」の記事における「90年代以後のパンク」の解説
詳細は「グランジ」を参照 アメリカにおけるハードコア・ムーブメントはアンダーグラウンドな動きに留まったが、その過程において各地のバンド、インディ・レーベルを結ぶネットワークも一部に見られた。そのような状況下、サウンドガーデンやマッドハニーといったバンドが、シアトルのインディ・レーベルサブ・ポップより次々とデビューし、シアトルのアンダーグラウンドシーンは盛り上がりを見せる。そして、1980年代初めからニューヨークのアンダーグラウンドシーンで活躍していた ソニック・ユースが、1990年にメジャー・レーベルのゲフィン・レコードよりデビューした翌1991年にはニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でメジャー・デビューし、全世界で3,000万枚を売り上げる大ヒットを記録し、「グランジ」が話題になった。その後、パール・ジャムなどが次々とメジャー・デビューした。グランジはパンクとヘヴィ・メタルを合わせたような音楽性だった。 また、1990年代にアメリカ北西部のオリンピア・ポートランドを中心に、グランジ/オルタナティヴ・ロックと同時期にライオット・ガール(Riot Grrrl)といムーヴメントが起きた。しかしながら、1994年にニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンが自殺すると、グランジがオルタナティヴ・ロックに呑み込まれる形で、グランジ・ブームは急速に終息を迎える。ポップ・パンク、メロコアは、1980年代後半にバッド・レリジョンが、ハードコア的なサウンドをよりメロディックにスピーディーにさせたスタイルを確立した。
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