2007年~ JKジャパンの5年間
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「ラグビー日本代表」の記事における「2007年~ JKジャパンの5年間」の解説
急ごしらえでワールドカップ2007へ 太田HC代行体制で挑んだ2006年11月のW杯アジア予選で、韓国、香港に快勝し、6大会連続のワールドカップ出場を決めた。 ワールドカップ2007まで8か月を切った2007年1月9日 (就任は同年1月1日付)、日本協会はジョン・カーワンをヘッドコーチ (HC) とすることを発表し、「JKジャパン」が発足した。カーワンは1984年から1994年までオールブラックスに在籍したスーパースターであり、1987年の第1回ワールドカップにおけるイタリア戦で、90メートル独走トライをしたことでも知られている。また、現役生活の晩年にはNECでもプレー経験があり、日本のラグビーファンにも知名度があった。また現役引退後、イタリア代表のヘッドコーチを務めた。既にW杯出場を決めていることもあり、カーワンに求められたのは本戦での実績。カーワンは、フィジーとカナダで2勝することを主眼におき、決勝トーナメント (各プール2位まで)には残れなくとも、3位以内 (同位以内であれば、次回のW杯予選が免除される)には確実に入る算段を目論んでいた。 しかし、パシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)では1勝4敗で最下位。8月18日にイタリアのサン=ヴァンサンで行われたイタリア戦も12-36で敗退した。 主力選手を温存し、強豪相手に「捨てゲーム」 ワールドカップ2007開幕直前になって、エースの大畑大介、山本貢、安藤栄次の3選手が怪我により帰国したため、急遽替わりのメンバーが招集されるといった事態にも見舞われた。 カーワンは、日本代表を主力選手とリザーブ(控え選手)との2チームに分ける奇策に出た。強豪のオーストラリア戦とウェールズ戦は“捨てゲーム”としてリザーブ主体で戦い、フィジー戦とカナダ戦に主力選手を使って確実に2勝する作戦である。 したがって、初戦のオーストラリアには3-91で大敗したが、最初から“捨てゲーム”としていたカーワンには「想定の範囲内」。しかし、続くフィジー戦では、主力選手中心にもかかわらず、31-35で惜敗。さらに“捨てゲーム”のウェールズ戦を18-72で大敗し、6大会連続の予選プール敗退が決定した。加えて、1995年W杯のウェールズ戦から数えて13連敗となってしまった。 そして、最終戦のカナダに勝ったとしても、最低限の目標である「次回W杯出場権獲得となる3位以内」もきわめて難しくなった。カナダ戦において、日本は試合終了直前まで5-12でリードされ、4大会連続の全敗が確実視されたが、ロスタイムに平浩二が右隅にトライを決めて2点差まで迫ると、その後、大西将太郎がゴールキックを決め同点となり、ここで試合終了の笛。日本は14試合ぶりに敗戦を免れ、また、4大会ぶりに予選プール最下位を免れたが、次回ワールドカップ2011の優先出場権は得られなかった。 JK続投 大会終了後、日本協会は、目標としていたW杯2勝はできなかったものの、準備期間が短かったことや、けが人が続出した中で予選プール最下位を免れたことを評価し、引き続きカーワンにジャパンの指導を託した。 2008年、同年から始まったアジア5カ国対抗で優勝をもたらした。パシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)は前年同様1勝4敗に終わったが、トンガには前年に続き勝利。11月のアメリカ来日シリーズでは連勝。2009年、アジア5カ国対抗を連覇。続くPNCはトンガに3年連続で勝利したが1勝3敗に終わった。 ワールドカップの日本開催が決定 2009年7月28日に行われた国際ラグビー評議会 (IRB)の理事会で、2019年のラグビーワールドカップ開催国に日本が決定した。同年11月、カナダが来日。日本はテストマッチで連勝した。 2010年、アジア5カ国対抗では順当に3連覇を達成し、「アジア地区1位」枠として、7大会連続となるワールドカップ2011への出場を決めた。PNCでは、サモアとトンガに勝利し、得失点差の末、3位に終わったとはいえ、サモア、フィジーと同じく2勝1敗の好成績を挙げた。その後、10月30日のサモア来日テストマッチでは10-13と惜敗したが、翌週11月6日のロシア来日テストマッチでは75-3と大勝。JKが本格的に指導を行なった成果が徐々に実績にも現れつつあり、翌年に控えるワールドカップ2011にも弾みがついたと思われた。 強豪国との試合が組まれない 2011年シーズンもアジア5カ国対抗から始動し、順当に4連覇を達成。続いて7月のパシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)ではサモアには敗れた が、続くトンガを1点差で破る と、最終戦となったフィジーにテストマッチとしては17年ぶりに勝利し、得失点差により、ついに大会初優勝を果たした。 その後、8月13日のイタリア遠征で24-31で敗れたとはいえ、前半は17-14でリードして折り返した。そして同月21日のW杯壮行試合のアメリカ戦は20-14で下し、通常のテストマッチでは第二グループと称されるナショナルチームにはほとんど勝てるほどに日本のチーム力が向上していた。しかし、カーワン体制になってからW杯以外のテストマッチでは、いわゆる強豪国、旧IRFBファウンデーションユニオン8か国との対戦が全く組まれなかった。 2011年ワールドカップ「ハミルトンの失笑」 9月からのワールドカップ2011で、日本は、開催国ニュージーランド、フランス、トンガ、カナダと共にプールAに入った。カーワンは、前回W杯同様、主力選手と控え選手とを分けた戦略を使った。 初戦9月10日のフランス戦では、一時は4点差まで詰め寄り日本のファンを堪能させた が、結局は21-47で完敗。 2試合目は9月16日、ニュージーランド北島ハミルトン市のワイカト・スタジアムで行われた。開催国であり強豪のニュージーランドは、16年前のW杯「ブルームフォンテーンの悪夢」のときの相手だった。JKジャパンは、初戦メンバーから10人を入れ替えて主力選手を多数温存した。その結果、相手の速い攻撃に終始防御を強いられ、前半に6トライ、後半に7トライを献上。結局、本大会ワースト2位の得失点差である7-83で惨敗した。16年前と同じく主力選手を使わない「ニュージーランド戦から逃げるような」メンバー構成による大量トライ献上には、地元ニュージーランド人の観客で埋まる会場から失笑が漏れるほどで、ファンの間では現地の名前を冠して「ハミルトンの失笑」と呼ばれる汚点になった。 その後の試合は、念願の2勝を目指したが、予選3試合目トンガ戦ではミスを連発した上に、日本の速い攻撃を完全に封じ込められて18-31と完敗。 最後のカナダ戦も、前半に17-7でリードしながらも、後半終盤になってミスを連発、立て続けに得点を許し、23-23で2大会連続ドローとなってしまった。結局、強豪国に対して主力選手を温存した作戦でも2勝はおろか、5大会連続勝利なしという結果に終わった。 停滞ジャパンの終焉 通常テストマッチで強豪国とは試合を組まず、W杯では2大会連続で主力選手を温存し強豪国相手には出さないカーワンの方針は、ファンを失望させ、選手の強化機会を無くす結果になった。太田治GMは「これでは強化が停滞してしまう」と、カーワン体制の5年間を総括した。ラグビーライターの中尾亘孝はJKジャパンの5年間を「カネと時間だけを浪費した壮大な無駄」と切り捨てた。2007年のW杯では最終登録の外国人選手は5人だったが、2011年には倍の10人になっていたことも批判された。同年10月13日、正式にカーワンの退任が決まった。
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