2007年~ JKジャパンの5年間とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 2007年~ JKジャパンの5年間の意味・解説 

2007年~ JKジャパンの5年間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 13:50 UTC 版)

ラグビー日本代表」の記事における「2007年~ JKジャパンの5年間」の解説

急ごしらえワールドカップ2007太田HC代行体制挑んだ2006年11月W杯アジア予選で、韓国香港快勝し、6大会連続ワールドカップ出場決めたワールドカップ2007まで8か月切った2007年1月9日 (就任同年1月1日付)、日本協会ジョン・カーワンヘッドコーチ (HC) とすることを発表し、「JKジャパン」が発足した。カーワンは1984年から1994年までオールブラックス在籍したスーパースターであり、1987年第1回ワールドカップにおけるイタリア戦で、90メートル独走トライをしたことでも知られている。また、現役生活晩年にはNECでもプレー経験があり、日本のラグビーファンにも知名度があった。また現役引退後イタリア代表のヘッドコーチ務めた。既にW杯出場決めていることもあり、カーワンに求められたのは本戦での実績。カーワンは、フィジーカナダで2勝することを主眼におき、決勝トーナメント (各プール2位まで)には残れなくとも、3位以内 (同位以内であれば次回W杯予選免除される)には確実に入る算段目論んでいた。 しかし、パシフィック・ネーションズ・カップPNC)では1勝4敗で最下位8月18日イタリアサン=ヴァンサン行われたイタリア戦も12-36で敗退した主力選手温存し、強豪相手に「捨てゲームワールドカップ2007開幕直前になってエース大畑大介山本貢安藤栄次の3選手怪我により帰国したため、急遽替わりメンバー招集されるといった事態にも見舞われた。 カーワンは、日本代表主力選手リザーブ控え選手)との2チーム分け奇策出た強豪オーストラリア戦とウェールズ戦は“捨てゲーム”としてリザーブ主体戦いフィジー戦とカナダ戦に主力選手使って確実に2勝する作戦である。 したがって初戦オーストラリアには3-91大敗したが、最初から“捨てゲーム”としていたカーワンには「想定範囲内」。しかし、続くフィジー戦では、主力選手中心にかかわらず31-35惜敗。さらに“捨てゲーム”のウェールズ戦を18-72大敗し、6大会連続予選プール敗退決定した加えて1995年W杯ウェールズ戦から数えて13連敗となってしまった。 そして、最終戦カナダ勝ったとしても、最低限目標である「次回W杯出場獲得となる3位以内」もきわめて難しくなった。カナダ戦において、日本試合終了直前まで5-12リードされ4大連続全敗確実視されたが、ロスタイム平浩二が右隅にトライ決めて2点差まで迫ると、その後大西将太郎ゴールキック決め同点となり、ここで試合終了の笛。日本14試合ぶりに敗戦免れまた、4大会ぶりに予選プール最下位免れたが、次回ワールドカップ2011優先出場得られなかった。 JK続投 大会終了後日本協会は、目標としていたW杯2勝はできなかったものの、準備期間短かったことや、けが人続出した中で予選プール最下位免れたことを評価し引き続きカーワンにジャパン指導託した2008年同年から始まったアジア5カ国対抗優勝もたらしたパシフィック・ネーションズ・カップPNC)は前年同様1勝4敗に終わったが、トンガには前年続き勝利11月アメリカ来日シリーズでは連勝2009年アジア5カ国対抗連覇。続くPNCトンガ3年連続勝利したが1勝3敗に終わったワールドカップ日本開催決定 2009年7月28日行われた国際ラグビー評議会 (IRB)の理事会で、2019年ラグビーワールドカップ開催国日本決定した同年11月カナダ来日日本テストマッチ連勝した2010年アジア5カ国対抗では順当に3連覇達成し、「アジア地区1位」として、7大会連続となるワールドカップ2011への出場決めたPNCでは、サモアトンガ勝利し得失点差の末、3位終わったとはいえサモアフィジー同じく2勝1敗の好成績挙げたその後10月30日サモア来日テストマッチでは10-13惜敗したが、翌週11月6日ロシア来日テストマッチでは75-3大勝JK本格的に指導行なった成果徐々に実績にも現れつつあり、翌年控えワールドカップ2011にも弾みがついたと思われた。 強豪国との試合組まれない 2011年シーズンアジア5カ国対抗から始動し順当に4連覇達成続いて7月パシフィック・ネーションズ・カップPNC)ではサモアには敗れた が、続くトンガ1点差で破る と、最終戦となったフィジーテストマッチとしては17年ぶりに勝利し得失点差により、ついに大会初優勝果たしたその後8月13日イタリア遠征で24-31で敗れたとはいえ前半は17-14でリードして折り返した。そして同月21日W杯壮行試合アメリカ戦は20-14下し通常のテストマッチでは第二グループ称されるナショナルチームにはほとんど勝てるほどに日本のチーム力が向上していた。しかし、カーワン体制になってからW杯以外のテストマッチでは、いわゆる強豪国、旧IRFBファウンデーションユニオン8か国との対戦が全く組まれなかった。 2011年ワールドカップハミルトン失笑9月からのワールドカップ2011で、日本は、開催国ニュージーランドフランストンガカナダと共にプールAに入った。カーワンは、前回W杯同様、主力選手控え選手とを分けた戦略使った初戦9月10日フランス戦では、一時4点差まで詰め寄り日本ファン堪能させた が、結局は21-47で完敗。 2試合目は9月16日ニュージーランド北島ハミルトン市のワイカト・スタジアム行われた開催国であり強豪ニュージーランドは、16年前W杯ブルームフォンテーン悪夢」のときの相手だった。JKジャパンは、初戦メンバーから10人を入れ替えて主力選手多数温存した。その結果相手速い攻撃終始防御強いられ前半に6トライ後半に7トライ献上結局、本大会ワースト2位得失点差である7-83惨敗した16年前同じく主力選手使わないニュージーランド戦から逃げるような」メンバー構成による大量トライ献上には、地元ニュージーランド人観客で埋まる会場から失笑漏れるほどで、ファンの間では現地の名前を冠してハミルトン失笑」と呼ばれる汚点になったその後試合は、念願の2勝を目指したが、予選3試合トンガ戦ではミス連発した上に、日本速い攻撃を完全に封じ込められて18-31と完敗最後カナダ戦も、前半17-7リードしながらも、後半終盤になってミス連発立て続け得点許し、23-23で2大会連続ドローとなってしまった。結局強豪に対して主力選手温存した作戦でも2勝はおろか、5大会連続勝利なしという結果終わった停滞ジャパン終焉 通常テストマッチ強豪国とは試合を組まず、W杯では2大会連続主力選手温存強豪国相手には出さないカーワンの方針は、ファン失望させ、選手強化機会無く結果になった太田治GMは「これでは強化停滞してしまう」と、カーワン体制5年間を総括した。ラグビーライターの中尾亘孝はJKジャパン5年間を「カネ時間だけを浪費した壮大な無駄」と切り捨てた2007年W杯では最終登録の外国人選手は5人だったが、2011年には倍の10になっていたことも批判された。同年10月13日正式にカーワンの退任決まった

※この「2007年~ JKジャパンの5年間」の解説は、「ラグビー日本代表」の解説の一部です。
「2007年~ JKジャパンの5年間」を含む「ラグビー日本代表」の記事については、「ラグビー日本代表」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2007年~ JKジャパンの5年間」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2007年~ JKジャパンの5年間」の関連用語

2007年~ JKジャパンの5年間のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2007年~ JKジャパンの5年間のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのラグビー日本代表 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS