1891年からの世界とは? わかりやすく解説

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1891年からの世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:09 UTC 版)

大不況 (1873年-1896年)」の記事における「1891年からの世界」の解説

余剰資本生産制限我慢できなくなって1887年から鉱山が再び開発された。百万ポンド単位イギリス海外投資額は、各地域に対して1885年から1891年までの各年におき次のような値となったヨーロッパでは3.4・5.0・12.9・10.1・11.2・12.3・5.0であった北米では14.1・14.0・23.9・37.2・37.2・52.8・18.7であった南米では7.1・19.3・18.9・40.3・40.2・23.3・9.4であったアフリカへ投資はまだ本格化ていない4.72.51.54.2・8.9・4.6・6.6)。ネバダ州コロラド州アイダホ州銀鉱山を抱えアメリカでは1890年シャーマン購入法が成立した。しかし南北アメリカ開発により、1891年から金銀比価異常に開きだした。その勢い1893年恐慌が起こるまで止まらなかった。その後も銀の下落傾向続いて1900年アメリカ立法より金本位制を再確認した。 中央銀行頂点とする間接金融全体的に鈍化した。そこでは直接金融代替手段となる。社債特にロンドン証券取引所発行する外債である。外債発行幹事窓口となる銀行が、資金を必要とする企業将来支配した株式は、それを引受ける側が独占体制構築するのにも使われた。ライヒスバンク(高)とイングランド銀行(低)の割引率格差が、ドイツ短期資本呼び込んだ資本支配には各国内部人脈家系監査役兼任技術提携その他あらゆる関係)が影響して、カルテル・トラスト・コンツェルンだけにとどまらない多様なバリエーション展開したドイツ帝国#経済参照)。ベッセマー転炉等の過剰な設備投資が行われ、急激な合理化により生産力過剰となった。こうして将来戦間期国際カルテルを結ぶ大企業生まれていった。ヨーロッパの中で資金雇用求めるとき、そうしたコングロマリットに頼る以外の道が閉ざされていった一方でアジア各国は、鉱業合理化遅れて、金を退蔵したまま銀本位制とどまり貿易銀流通長く許した要するに、鋳貨全体における競争負けていた。それで国内金融制度整備遅れた金利高止まりした。金本位制採用は、日本場合1897年貨幣法を待たねばならなかった。そこへオリエンタル・バンクなどの外国銀行で銀価格下落による会計上の損失生じた。もっとも、香港上海銀行金と銀別々に会計処理したので被害免れた。こうしてイギリスでは夥しい銀行淘汰され個人銀行場合1875年236行から1900年81行にまで減じたこれにともないアジア各国および産業資金調達元は限られてきた。資金募集欧州各国および産業競合した。 金が基軸通貨となり、金を知る者・持てる者へ資金需要殺到した半世紀後のブレトンウッズ体制ドル不足露呈したように、大不況では金属としての金が不足した海底ケーブルによりグローバル経済進展して、金という決済手段流動性極度に高めた結果その他の金融資産およびモノサービス流動性交換性失った世界の主要貿易国次々と成立した保護貿易主義政策結果1870年から1890年の間、国際商船取引は全く成長しなかった。保護貿易主義には景気好転させる働きはなく、不況長期化する一因となったそれ以前関税戦争前の好況期には、商船取引量は総トン数でおよそ2倍に成長していた。唯一英国オランダだけは、低い関税率のまま維持していた。1890年からドイツ輸出環境悪くなりだした。マッキンレー関税法対米輸出障害となったのである。さらに1892年アドルフ・ティエール保護貿易主義をうけて過酷なメリーネ関税フランスで設定された。ユンカーオットー・フォン・ビスマルクをして採用させた1879年保護関税は、もはや頼りにならなくなった金本位制再確認した1900年前後集中してアメリカでは膨大な件数企業数資本額の吸収合併相次いだイギリスでの吸収合併はさほどでもなかった。オール・レッド・ライン海運アライアンス貢献大きい。このようなイギリスボーア戦争きっかけ公債等の形でアフリカへ投資本格化させた(1903年ピーク資本輸出額が4240ポンド)。メリーネ関税設けたフランスは、イタリア相手1887年以降10年にわたる関税戦争経験していた。フランスイタリアへ最大投資国であるため、イタリア国内フランス資産清算されたことで特に損失大きかったフランス露仏同盟背景ロシアへ巨額資本輸出したロシアでは3回不況発生し経済製造業集中し不況発生した時期近く、これらの不況合間には景気回復の期間があった。

※この「1891年からの世界」の解説は、「大不況 (1873年-1896年)」の解説の一部です。
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