1891年大飢饉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「1891年大飢饉」の解説
「ルーシ(ロシアの古名)では飢えで死ぬ人間は一人もいない」という諺(ことわざ)がある。帝政時代には、飢える代わりに職業的な乞食(ニシチイ)になれた。モスクワには全員が乞食をする村もあった。19世紀後半の農民は、汗水垂らして得た物だけに所有権と価値を認めた。肉体労働によらない財産は、誰の物でもなく、盗んでも罪にならないと考えられた。他人の盗みに対しては、社会や運命の犠牲になったと見做され、同情された。富や起業家たちは、ロシアでは常に否定的な目で見られた。19世紀後半から力を持った裕福な商人たちは、信心深いキリスト教ロシア正教会信者や古儀式派の信徒でもあった。彼らは贖罪を望み、商人やインテリゲンツァは、引け目を貧民への喜捨で補った。1891年の大飢饉のさいには、大勢の人たちが農村へ入って飢餓民を助けようとした。
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