1892年–1930年: 新婚生活
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「アイノ・シベリウス」の記事における「1892年–1930年: 新婚生活」の解説
婚約時より2人は国内に新居を構えることを話し合い、1898年にはトゥースラ湖のほとりに家を探し始めている。1903年7月にシベリウスの裕福な未婚のおじが死去した際、トゥースラ湖に程近いヤルヴェンパーの地に2.5エーカー (10,000 m²)の土地を購入し、相続した遺産を用いて建築家のラルス・ソンクに家の設計を依頼した。彼らはこの家をアイノラと呼んだ。1904年の秋にそこへ移り住んだ2人は、土地の購入と家の建築のために多額の資金を借り入れていた。 アイノのヤルヴェンパーでの暮らしのはじめの数年はストレスが多く、困難なものであった。理由の一部は経済的な不安にあり、また一部は飲んで騒ぐ夫の生活スタイルにあった。彼女は家の周囲の石だらけの土地を菜園にして家計の足しにしようとした。また、彼らには子どもの学費が工面できなかったため、アイノが家庭で指導を行った。後に子どもたちが学校に通うようになった際に優秀な成績を収めたことから、彼女は非常にうまく教えたといえる。1907年の一時期は療養のためヒュヴィンカーのサナトリウムで過ごした。 1908年にシベリウスが喉の手術を受け、ほぼ7年間にわたってアルコールを断つことになるが、これがアイノの最も幸福な時期の始まりとなる。マルガレータが1908年に生まれ、次いでヘイディが1911年に生まれた。子どもたちは皆アイノラで育った。一家が別の場所に住んだのは唯一1918年のフィンランド内戦下、数か月間ヘルシンキに移らねばならなかった時だけである。
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