1892年の橋とは? わかりやすく解説

1892年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 01:47 UTC 版)

大橋 (広瀬川)」の記事における「1892年の橋」の解説

1889年明治22年9月またしても大橋流されると、現在の位置鉄の橋けられた。1892年明治25年8月竣工した長さ113.6メートル、幅7.2メートルの3径間トラス橋で、設計早田喜成による。工費は66100円、または42200円で、宮城県県費国庫補助によった材の錬鉄ベルギーから輸入した。これによって頻繁な流失けかえの歴史終わったが、巨大なトラス橋上めぐらせ新し威容は、城跡城門とは調和しなかった。

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1892年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 01:52 UTC 版)

澱橋」の記事における「1892年の橋」の解説

澱橋1892年明治25年10月鉄の橋架け替えられた。同じ年に架け替えられた大橋とともにベルギーからの輸入錬鉄作られトラス橋である。トラスの上路面として鉄骨構造通行人見せない上路式で、下路式大橋対照をなした。橋脚煉瓦作り要所花崗岩補強したもので、面は木の板であった長さ130メートル、幅5.5メートルあった。工費は87900円で、宮城県県費国庫補助をあてた。 明治時代大橋澱橋広瀬川の二大鉄といわれた。位置現在の橋のやや上流にあり、左岸側の北詰(位置)は下町段丘のⅠから段丘崖がつくる複雑な地形となっている角五郎東端付近に土盛りし造ったようである。右岸側の南詰(位置)は現在の澱橋南詰の西隣である。現在も両側の橋台や一部の橋脚残っている。

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