通信部門
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「通信部門」の解説
梁山泊の通信を担当する者たち。梁山泊の通信網は飛脚屋を営んでいた戴宗が中心となり、全国に拡大・整備された。同志たちは各地からの連絡に戴宗の飛脚屋を利用する。後に緊急時や戦場への伝令を担当する長駆隊や、水路を利用した船飛脚も創設・整備される。戦力的に不利な梁山泊にとって、通信は宋に対する数少ないアドバンテージでもある。 戴宗(神行太保) 通信・調略担当。1068年生まれ。身長 - 159cm、体重 - 51kg。 (水滸伝)元江州の牢役人で、宋江の最古参の同志。金持ちが嫌いでアナーキーな面がある。単独で国家に対する反逆を志していた頃に魯智深と出会い、宋江に引き合わされた過去がある。普段は飛脚屋を営み、同志の通信網として統括・維持を担当する。俊足の持ち主で自らも飛脚として走る(短距離であれば王定六よりも速い)。また、自身が発した通信に「神行太保(しんこうたいほう)」と書かれた札を符牒として使う。 性格は非常に用心深く、同志ですら疑うこともある。なお原典では李逵の兄貴分だが、本作ではその役目が武松に割り当てられているため、李逵との絡みはほとんど無い。通信網の整備・拡大に伴い通信部門は張横に任せ、自身は調略に関わるようになる。また、公孫勝が青蓮寺闇軍との戦闘で重傷を負った後は、一時的に致死軍の総隊長代理も務めた。 (楊令伝)呉用の命で各地を回り、石勇が率いていた諜報部隊の指揮や各種工作を担当。狭量だと自覚しつつも、侯真などの若手への不満や、自分の老いを受け入れられない様な面を見せ始める。緑色が好きで、同じく緑色を好む張清に親しみを感じていた。 童貫戦後は梁山泊が武力で中華全土を統一するべきという考えを抱きつつ、青蓮寺への諜報活動から西夏王室への工作任務に移る。長年にわたり単独での活動が続いたからか酒に溺れ、楊令の構想や自身の役割に不平不満を漏らすようになる。深酒が祟って体を悪くするが俊足は健在で、赫元拉致作戦時には致死軍の救援要請を担当した。李英の出奔・自裁後に報復として扈成を暗殺するも負傷。その状態で致死軍の窮地を救うために羌肆と刺し違え、最期まで若手に対して文句を言いながら息を引き取る。 『岳飛伝』では犬猿の仲だった候真が常に酒を飲み、戴宗を真似るかのような言動をするようになる。 張横(船火児) 通信担当。1074年生まれ。身長 - 175cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元江州の飛脚屋。張順とは異母兄弟だがお互いに認め合う間柄。父親の死後に面倒を見てくれた戴宗の部下として飛脚業を営み、全国を回って通信網の整備を担当。青蓮寺に通信を遮断された経験から、後に飛脚と王定六の長駆隊を組み合わせた二重体制の通信網を構築する。 二児の父親で長男の張敬は弟に預けたが、愛情に飢えていた次男の張平の盗癖に心を痛める。二人で旅に出るも改善されず、父子共に思い詰めるが武松の薦めもあり、張平を王進の下へ預けた。戴宗が調略関係に移ってからは通信部門の責任者となり、水路を利用した船飛脚による通信網も整備した。 (楊令伝)引き続き通信部門を担当。飛脚による通信網を金の領土内まで拡大させる。王進に預けていた張平を迎えに赴き、彼を梁山泊へ入山させた。西域との交易開始に伴い、通信網を西遼や西夏まで拡げる。酒浸りになり、周囲から敬遠される戴宗をただ一人案じていた。船飛脚を南宋にまで拡大させようとするが、長男の張敬を失い、塞ぎ込む様になる。長江の水深を測る童猛の手伝いをした際に青蓮寺の襲撃を受け、死亡。だが童猛と二人、死んだ同志達の所へ逝けることを喜んでいた。 『岳飛伝』では孫の張光や大理に配置していた飛脚屋の部下、衛遷の息子の衛俊が登場。いずれも南方の開拓を行う秦容と関わりを持つことになる。 王定六(霍閃婆) 通信担当、長駆隊隊長。1079年生まれ。身長 - 180cm、体重 - 60kg。 (水滸伝) ‹章タイトル―第6巻第5章 戴宗と出会い、双頭山へ駆ける› 建康の食堂の主人の息子で、博打打ち。幼い頃から足の速さが自慢だった。入獄していたが、父親の自殺と経緯を知り脱獄。父を死に追いやった食堂の主人・曹順と、結託した悪徳役人・崔令を討ち取り復讐を遂げた後、脱獄から一部始終を見ていた戴宗と出会う。直後に双頭山への伝令を頼まれて七日の行程を五日で走りぬき、官軍に包囲された宋江一行への救援を間に合わせる。 入山後は俊足の人間が走って伝令を担当する部隊・長駆隊を組織し、その隊長として激戦区の伝令を担当する。長距離走での速さとスタミナは戴宗よりも優れている。 (楊令伝)引き続き長躯隊の指揮を担当。途中まで公淑と秦容を、王進の子午山に送り届ける役目を担った。自らも伝令に立つが、それは50歳までと考えていた。童貫戦後は西域への通信網拡大に伴い、長躯隊の人員配置を担当する。金軍による商隊襲撃の際、矢による攻撃を受けながらも梁山泊まで走りきり、梁山泊に襲撃の事実を伝えた後、楊令らに看取られつつ父親の顔を思い浮かべて息を引き取った。 『岳飛伝』では王定六のケースに倣う形で衛俊が南方で長躯隊を統率し、自らも伝令として走る。
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