花の窟とは? わかりやすく解説

熊野参詣道
中辺路
大辺路
小辺路
伊勢路
熊野川
七里御浜
花の窟

名称: 熊野参詣道
 中辺路
 大辺路
 小辺路
 伊勢路
 熊野川
 七里御浜
 花の窟
ふりがな くまのさんけいみち
 なかへち
 おおへち
 こへち
 いせじ
 くまのがわ
 しちりみはま
 はなのいわや
種別 史跡
種別2:
都道府県 2県以上
市区町村 中辺路新宮市田辺市東牟婁郡那智勝浦町大辺路西牟婁郡白浜町すさみ町小辺路伊都郡高野町田辺市吉野郡野迫川村吉野郡十津川村伊勢路新宮市田辺市熊野市尾鷲市度会郡大紀町北牟婁郡紀北町南牟婁郡御浜町熊野川新宮川水系熊野川七里御浜熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町(花の窟)熊野市
管理団体 紀北町尾鷲市熊野市野迫川村十津川村高野町白浜町日置川町すさみ町那智勝浦町田辺市
指定年月日 2000.11.02(平成12.11.02)
指定基準 史3,史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 熊野参詣道は、熊野三山、すなわち熊野本宮熊野坐神社)、新宮熊野速玉大社)、 那智熊野須美神社那智大社)の三社参詣する道で、院政期には紀伊路伊勢路があった。中世において最も利用されたのは紀伊路うち中辺路であり、京より南下してきた熊野参詣道は、田辺海沿いを行く大辺路分かれ山間縫って本宮目指した。院政期には、多数参詣者が通行したが、特に上皇参詣多く後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回、白河上皇9回、女院待賢門院13回とかなりの頻度参詣重ねている。そうした利用につれて参詣道整備進んだ当時参詣様子は、藤原為房の『為房記』、藤原宗忠中右記』、藤原定家後鳥羽院熊野御幸記』など多く貴族日記記録詳細に綴られているが、貴顕のみならず庶民病者多かったことが記されている。本宮参詣ののちは熊野川川下りして新宮参詣しそののち海岸沿いに浜の宮至りそれより再び内陸入り那智参詣したその後は、新宮から熊野川上って本宮に至る来たときと逆の行程を辿るか、大取越・小取越経て本宮に戻ることもあった。また、本宮から湯峰に道が通じており、湯峰の湯に入り疲れ休めた
  熊野参詣道は、古代末期より近世近代に至るまで、貴顕のみならず一般庶民また 病苦民衆までが熊野三山への信仰憧憬によって歩んだ古道であり、我が国歴史 ならびに社会・文化を知る上で欠くことのできない貴重な交通遺跡として平成12年 に史跡指定されたものである
 今回、熊野参詣道の保存万全を期すために、中辺路大辺路伊勢路高野山か らの参詣道である小辺路、川と海浜利用して参詣していた熊野川七里御浜参詣 の人たちの崇敬集めた花の窟のうち、参詣道として良好に保存されている地域追 加して指定しようとするとともに従来熊野参詣道として指定されていた熊野本宮大 社旧社地大斎原)・那智大社境内青岸渡寺境内補陀洛山寺境内史跡熊野三山 とするために熊野参詣道から分離するのである

花の窟

作者宮本徳蔵

収載図書敵役
出版社集英社
刊行年月2004.10


花窟神社

(花の窟 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/05 03:39 UTC 版)

花窟神社

鳥居
所在地 三重県熊野市有馬町上地130番地
位置 北緯33度52分47.5秒 東経136度5分36秒 / 北緯33.879861度 東経136.09333度 / 33.879861; 136.09333座標: 北緯33度52分47.5秒 東経136度5分36秒 / 北緯33.879861度 東経136.09333度 / 33.879861; 136.09333
主祭神 伊弉冉尊軻遇突智尊
神体 磐座
創建 不詳
例祭 2月2日(春季)
10月2日(秋季)
主な神事 御縄掛け神事
地図
花窟神社
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花窟神社(花の窟神社、はなのいわやじんじゃ)は三重県熊野市有馬町に所在する神社伊弉冉尊(伊弉冊尊[1]、いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る[1]

概要

七里御浜から見た神体の巨岩

日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである[2]

神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる[3]高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの[4]大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ[3]、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている[4]。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている[5]

古事記延喜式神名帳に「花窟神社」の名はなく、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。

今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体である[2]。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ[3][4]、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。

2004年、ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。

例大祭

神体の巨岩から渡された綱
  • 御縄掛け神事 - 2月2日(春季大祭)、10月2日(秋季大祭)。県指定無形民俗文化財[4]
    特別な田で作られたもち米縄7本を束ねた長さおよそ170メートルの大綱に[3]、季節の花(2月はツバキを入れ、10月はケイトウを入れる[3])を結びつけた3つの縄幡および扇を吊して、磐座の頂上(ウバメガシに結ばれる[3])から七里御浜の海岸へと大綱が引かれ、境内の南隅にある柱(かつてはマツの神木)の先端へと引き渡される。その大綱の先端は地面の支柱に結びつけられる。大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、伊弉冉尊の子で自然神である級長戸辺命(しなとべのみこと、風の神)、少童命(わたつみのみこと、海の神)、句句迺馳(くくのち、木の神)、草野姫(かやのひめ、草の神)、軻遇突智尊(火の神)、埴安神(はにやすのかみ、土の神)、罔象女(みつなのめ、水の神)を意味する[6]。また3つの縄幡は、三流の幡(みながれのはた)と呼ばれ[6]、岩側より、伊弉冉尊の黄泉の穢れをはらった際に生まれた三神天照大神(あまてらすおおみかみ、太陽神)、月読尊(つくよみのみこと、月神)、素戔嗚尊(すさのおのみこと、暗黒神)を表している[3]。この3つの縄幡は、朝廷より毎年奉献されていた「錦の幡」が運ばれるとき、舟が熊野川の増水により転覆したため、変わり「縄の幡」が作られたものであるといわれる[3][4]。綱は掛け替えることなく自然に切れるまで残されるため、新たな綱と2本見られることもあり、縁起がよいものとされる[3]

指定文化財

国指定文化財

記念物(史跡
  • 熊野参詣道 花の窟 - 2002年(平成14年)12月19日指定[7]

県指定文化財

民俗文化財無形民俗文化財
  • 花の窟のお綱かけ神事 - 1969年(昭和44年)3月28日指定[7]

市指定文化財

民俗文化財(有形民俗文化財
  • 花の窟神社の版木 - 1999年(平成11年)1月28日指定[7]
版木原画、菱川廣隆。版木の花の窟図には、お綱掛け神事による綱が御神体に掛けられた景観が示されている[8]
  • 花の窟の湯立釜 - 1999年(平成11年)1月28日指定[7]
記念物(天然記念物
  • 花の窟神社社叢 - 1964年(昭和39年)4月28日指定[7]

短歌

  • 「紀の国や花の窟にひく縄の ながき世絶えぬ里の神わざ」 本居宣長[2]
  • 「紀の国や有馬の村にます神に 手向る花は散らじとそ思ふ」 徳大寺公能[2](大炊御門右大臣[4]
  • 「三熊野の御浜によする夕浪は 花のいはやのこれ白木綿(しらゆう)西行[2]
  • 「神まつる花の時にやなりぬらん 有馬の村にかかるしらゆふ」 光俊朝臣[2][4]
  • 「春風に木すゑさきゆく紀の国や ありまのむらにかみまつりせよ」 よみ人しらず[2]

交通

周辺情報

脚注

  1. ^ a b 御祭神”. 花窟神社. 2013年1月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 由緒書”. 花窟神社. 2013年1月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i “熊野・大和 幻視行 - ④花の窟 潮香る神話の主たち”. 朝日新聞. (2008年4月22日) 
  4. ^ a b c d e f g 谷川健一編 編『日本の神々 - 神社と聖地 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社、2000年、467-469頁。ISBN 4-560-02506-1 
  5. ^ “聖地日和 - 異境・異形3 三重県熊野市・花窟神社”. 毎日新聞 日曜くらぶ. (2009年8月2日) 
  6. ^ a b c 毎年10月2日 - 花の窟神社 秋季大祭”. 熊野市観光公社. 2013年1月14日閲覧。
  7. ^ a b c d e 文化財”. 熊野市. 2013年1月13日閲覧。
  8. ^ 宝物”. 花窟神社. 2013年1月14日閲覧。
  9. ^ 花窟パーク公衆トイレ”. 三重県バリアフリー観光情報. 伊勢志摩バリアフリーツアーセンター (2014年6月11日). 2015年10月31日閲覧。

関連項目

外部リンク



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