紙本墨画淡彩慧可断臂図とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 紙本墨画淡彩慧可断臂図の意味・解説 

紙本墨画淡彩慧可断臂図〈雪舟筆/七十七歳の款記がある〉

主名称: 紙本墨画淡彩慧可断臂図〈雪舟筆/七十七歳の款記がある〉
指定番号 156
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 国宝
部門種別 絵画
ト書
員数 1幅
時代区分 室町
年代 明応五年(1496)
検索年代
解説文:  雪舟一四二〇一五〇二/六)は日本絵画史上に傑出した画家であり、紙本墨画山水図破墨山水図)、紙本墨画秋冬山水図(以上、東京国立博物館)、紙本墨画淡彩天橋立図京都国立博物館)、紙本墨画淡彩山水図京都・大原謙一郎)、紙本墨画淡彩四季山水図山水長巻)(山口毛利公会)の五点が国宝指定されている。これらはすべて山水図である。重要文化財指定一九点に及び、その半数もまた山水図である。雪舟山水画家として最も評価されてきたといえよう
 雪舟人物図の指定品は山水図比べればはるかに少ないが、雪舟人物図は決し山水図に劣るものではなく益田兼堯像は日本肖像画なかでも最も迫真的作品一つである。
 本図明治三十七年指定されたもので、天文元年一五三二)に佐治為貞によって斉年寺寄贈されたことが、別途保存された〓背の上巻絹とみられる絹地墨書銘によってわかる。
 本図雪舟筆の人物画なかでも非常に大きくわが国禅宗祖師図としても、類例少な大作である。画幅全体大きささりながら、貼り継がれ料紙一紙分の寸法最大で縦一〇センチメートル、横四六センチメートルという大きさであることは注目される山水長巻料紙が縦四〇センチメートル一紙長さ一〇センチメートル竹紙であるのに匹敵する大きさであり、輸入品であった可能性が高い。とすれば大内氏のように大陸との貿易により豊富に唐物将来していた勢力関連する制作考えるのが妥当であろう料紙大きさ加えて本図表現描き込み多く、どこか息詰まるうな重苦しささえ漂わせ雪舟渾身のとみられることからも、権力者からの注文制作という事情が考え得る。
 画面崇山岩窟入って面壁九年座禅を組む達磨と、教えを乞う中国僧すなわち後の慧可との緊迫した場面描いている。達磨慧可体躯比較肥痩のない墨線で輪郭とっているが、顔貌表現対照的に緻密で、淡彩賦して墨線に隈を施し達磨剛胆な風貌を表す。
 本図類稀な作品にしているのは、ふたりの人物を囲む岩の描写である。岩は画面右端の天地いっぱい畳みかけるように重なり画面上方中央へと張り出して重々しく垂下する。これを支えるように画面左端から岩盤が右へ傾斜し重なりながら奥へと後退していく。岩窟の奥は岩穴向こうに暗く暗示される。ふたりの人物を囲む岩は、秋冬山水図のうち冬景人物のしかかるような懸崖、あるいは山水長巻水景に臨む岩山高士語り合う洞穴の岩の一部近接拡大して描かれたかのようである。
 雪舟構築的な山水図由来する岩の表現力は、岩窟一隅にすぎない狭い空間に自然の圧倒的な大きさ厳しさ感じさせ、岩組中心に坐す達磨横顔にその力が凝集することにより、達磨慧可との激し精神交流増幅しているともいえる。
 このように雪舟重厚な岩の表現が、禅僧にとっての厳粛な主題絶妙な調子共鳴し合うところに、他の道釈画に例をみない迫力ある作品生み出されたといえよう
 画面左端に書された款記印章については、制作年確定する唯一の史料であるだけに慎重に検討されねばならないが、文明十八年(一四八六)の山水長巻巻末の款記、明応四年(一四九五)の破墨山水図の賛等と書風を比べて別筆と断定し得る、明らかな相違指摘するのは難しい。二顆の印記については、本図以外にみられないといわれてきたが、「等楊」印の例が近年数点報告されている。殊に印影うすく比較困難なものの、本図酷似する印記が山口瑠璃光寺全岩東純像に見出され、同頂相には本図と同じ明応五年(一四九六)の着賛の年記がある。
 本図の印記のみならず雪舟落款全体包括的に検討されるべき問題がまだ残されていることは事実である。
 総じて雪舟以外に本図描きうる画家存在しないという点は異論のないところであろう。人に対峙する自然の冷厳さと、ふたりの禅僧精神交流激しさ簡略な形のなかに描き出し、それらを響き合わせることに成功した稀有作例といえる
【款記印章
四明天童第一座雪舟行年七十七歳謹図之」
 (朱文鼎印)「雪舟」 (朱文方印)「等楊」

慧可断臂図

(紙本墨画淡彩慧可断臂図 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 14:02 UTC 版)

『慧可断臂図』
作者雪舟
製作年明応5年(1496年
種類紙本墨画淡彩
主題慧可達磨
寸法188.3 cm × 112.8 cm (74.1 in × 44.4 in)
所蔵京都国立博物館京都府
所有者斉年寺愛知県

慧可断臂図』(えかだんぴず)[1]は、室町時代雪舟による水墨画禅画国宝に指定されている[2]

中国禅宗二祖慧可が、初祖達磨弟子入りするため、自らの左切断して決意を示した、という伝説を描く。

場面

伝説によれば、達磨インドから中国に来て、武帝に面会した後、嵩山少林寺で「面壁九年」と呼ばれる座禅修行に入った[3]。そこに慧可(当時の名は神光[4])が訪れ弟子入りを願ったが、達磨は耳を貸さなかった[3]。何度訪ねても変わらず、ある冬の雪の日、慧可は自らの求道心を示すため、刀で左腕を切断した[5][3]。達磨はこれを受け「達磨安心」と呼ばれる禅問答をし、慧可の弟子入りを認めた[6]

以上の伝説は『景徳伝灯録』などに記されており[5]、本作含め度々画題になっている[7]

漢字の「」は日本語では「ひじ」を意味するが、本作および中国語では「うで」を意味する[3]

絵画

約一条分(縦183.8、横112.8cm)の巨大なに描かれており、達磨はほぼ等身大に描かれている[4]

達磨の衣は極太の淡墨で簡潔に描かれている[6]。そのため身体が背景洞窟に消え入るかのようだが、顔は濃墨で強調的に描かれている[6]

慧可の血や口に赤色が使われており、慧可の苦痛が読み取れる[8]。水墨画で墨以外の色を使うことは珍しくないが、本作では効果的な演出となっている[4]

洞窟のゴツゴツとした岩肌は、「皴法」という中国絵画由来の技法で描かれている[4]。穴が空いた岩は雪舟がよく描いたモチーフである[4]

本作は様々な解釈ができる[6]。一見コミカルなデザインだが[6]、緊張感が漂う[6][4][2]。大胆さと繊細さ、画面構成の面白さが光る作品とされる[4]

成立

雪舟がから帰国して約30年後、77歳のとき、1496年明応5年)に成立した。絵画左側に「四明天童第一座雪舟行年七十七歳謹図之」の款記と「雪舟」「等楊」の印章がある[2]。「四明天童第一座」は雪舟が明で授かった称号である[4]

絵画の巨大さや精緻さから、権力者からの注文制作と考えられる[2]

構図などにおいて、明の戴進中国語版英語版『達磨六代祖師図巻』の影響を受けていると言われる[9]

伝来

雪舟没後の1532年天文元年)尾張国知多郡大野城佐治氏の佐治為貞によって、同地の斉年寺に寄贈された[2][1]。これは別途保存された絹地墨書から分かる[2]

2004年平成16年)国宝に指定された[10][2]。雪舟は本作のような人物画よりも山水画を多く残しており、他の国宝5点が山水画であるなか本作が唯一の人物画となっている[2][4]

21世紀現代では、斉年寺から京都国立博物館寄託されている[1]。斉年寺には複製がある。

模本として、東京国立博物館蔵の江戸時代狩野惟信による模本がある[11]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 京都国立博物館”. 京都国立博物館. 2023年9月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2023年9月10日閲覧。
  3. ^ a b c d 小川隆『禅思想史講義』春秋社、2015年。ISBN 978-4393138021 14f頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 佐藤晃子『国宝の解剖図鑑』エクスナレッジ、2018年。ISBN 978-4767824550 66f頁。
  5. ^ a b c 発見されたもう一つの「慧可断臂図」!雪舟と白隠それぞれの禅画に秘められた大きな違い | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト”. serai.jp (2016年11月17日). 2023年9月10日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 島尾新『もっと知りたい雪舟 生涯と作品』東京美術、2012年。ISBN 978-4808708610 60頁。
  7. ^ 慧可断臂』 - コトバンク
  8. ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2016年11月13日). “【アート 美】悩み苦しむ人を幸せに 雪舟、白隠の慧可断臂図 言葉を超えた悟りの境地 「禅 心をかたちに」展 (1/4ページ)”. 産経ニュース. 2023年9月10日閲覧。
  9. ^ 趙忠華「日中絵画交流に関する一考察 : 禅僧雪舟の中国留学をめぐって」『東アジア研究』第14号、山口大学大学院東アジア研究科、2016年。 NAID 120005767094https://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/26161 41頁。
  10. ^ KIRIN~美の巨人たち~”. www.tv-tokyo.co.jp. 2023年9月12日閲覧。
  11. ^ 慧可断臂図(模本) 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2023年9月10日閲覧。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「紙本墨画淡彩慧可断臂図」の関連用語

紙本墨画淡彩慧可断臂図のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



紙本墨画淡彩慧可断臂図のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの慧可断臂図 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS