管理教育と自治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:03 UTC 版)
学校生活においては、児童や生徒は社会に出る準備段階として、自らの集団を自治する活動が体験学習的に行われている。勿論初等教育では教員などに拠るサポートも行われるが、中等・高等教育では段階的により高度な自治権が与えられ、規則の策定や運用基準の判断、個々の事例に於ける判定などといった活動も行われる。過度の管理教育がなされている場合では、こういった自治権は制限され、場合によっては何ら実権を持たない・単に上意下達的に命令を伝える場に成り下がっている場合もあり、そもそもそういった自治管理団体が存在しない場合すらある。 小学校 児童会がある。高学年の児童が役員を担当しているが、小学生段階では自律が困難であるので、社会参加の訓練もしくは自治活動の模擬体験という性質をもっている。教員が適切な指導・助言を行う必要がある。これらは学校側の意向を児童らに伝達する場であったり、特に重要ではない細々した校内や行事の決定事項を児童らに委ねるなどの活動を通して、自主性・自律性を育むものと位置付けられている。その他ゆとり教育の象徴的存在である総合的な学習の時間の活用も期待されている。 中学校・高等学校 生徒会がある。ただし生徒の自治組織ではなく、あくまで教育の一環であり、生徒会が全会一致で決めたことでも職員会議で否決できる。児童の権利に関する条約以降、校則や制服に対する要望も学校が聞き入れる傾向にあり、生徒らの要望を集約して、学校側と交渉する立場を取る。団塊の世代による1970年前後の学園紛争の時期は、これの影響を受けた生徒が生徒会を取り仕切り、生徒会の発言力が強まった(この管理教育への反抗による学園紛争が、さらなる管理教育の締め付けにつながっていったとの意見も多い)。なお、この時期、千葉県立千葉高等学校の生徒会が廃止されるという事件が発生した。それから30年以上経った現在も千葉高校には生徒会なるものは存在しないままである。また、学年単位の級長会のような組織もあり、生徒会よりも顧問の教師の権威が強く生徒たちから最も恐れられていた場合もある。 校則の可否に関しては、学校側の意向が重視されるものの、生徒会内部で議論され、これが変更に追い込まれるなど大きな運動を起こすことも無いことではない。また行事などでは、全体の進行や運営に際して一定の自治権を発揮する校風を持つ学校も存在し、イベントの発案や各々の出し物の可否・調整などを行う事例も聞かれる。公立中学校において1970年代に生徒により教師側と服装などに関して交渉し、「男子の長髪、体育時の女子のトランクス(短パン)着用可」で合意したものの、1980年代に入ったとたんに「男子の丸刈り、女子のブルマー着用強制」が教師側から一方的に通告された例があり、その中学校は校内暴力などが発生した例もある。 大学 自治を持つ大学と持たない大学とに大きく分かれる。 自治を持つ大学の学生は、学生自治会は労働組合と同様に、学校当局側と対等に交渉できることが多い。これらでは施設運用の裁量権を持っていたり、或いは学内に存在する様々な集団の折衝・調停といった活動による自治運営も聞かれる。会報の発行などにより学校OBや入学希望者に情報提供を行うなどして、校外にまで一定の影響力を持つ大学も見られ、こういった自治運営が校風全体にまで影響を与えているケースもある。 自治の無い大学は、学生自治会は存在しないか、あったとしても当局の助言と指導を受けた上での活動となる。 また、学部・学科によっても大きく異なる。 実験や実習の多い分野(医療系学部や生物系学部など)では、少人数での必修科目の授業が多く、濃密な人間関係が形成されることになり、また、自由に教員を選べないため、理不尽・不条理な慣習・規則を押し付けられても単位の生殺与奪権を握る教員に向かって文句を言い難い環境に置かれる。それに対し、文科系学部や数学・情報工学のように実験科目が無い、あるいは少ない場合は、比較的自由に発言が出来るケースもある。ただし、4年生や大学院で研究室に配属されると、指導教員を頂点としたピラミッド型のヒエラルキーに組み込まれ、研究室の方針に異を唱えることが事実上不可能なケースが多い。
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