管理教育と暴行事件
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「岡崎市立甲山中学校」の記事における「管理教育と暴行事件」の解説
1980年(昭和55年)2月26日付の朝日新聞紙上で、甲山中学校の卒業生が学校に対し、常識を超えた体罰を行う教諭Yをやめさせてほしいと請願書を出していたことが報道された。請願が出されたのは1976年(昭和51年)8月。その年の3月に卒業した生徒たちはどこに訴えを持っていいのか分からず、やむをえず県教育委員会に提出していた。この報道内容は1980年3月の市議会定例会で問題化されるも、管理教育に基づく強権的指導法が変わることはなく、のちに暴力の連鎖を引き起こした。 1981年(昭和56年)末からシンナー遊びやオートバイの盗難などによる補導が目立ち始める中、1982年(昭和57年)3月2日に教諭一人が生徒に殴られる事件があった。3月4日午前、浅井校長は3年生のグループ9人を校長室に呼び「進学や就職が決まったからといって安心して気を緩めては駄目だ。これから入試を控える生徒を手助けするぐらいのまじめな態度で学校に来なさい」と指導した。同日午後12時40分頃、グループのうちの男子生徒7人は、3年6組の担任Nに「朝、生活指導されたことで話し合いがしたい」と同組教室に呼びつけた。Nは一人で教室に行くが、心配した同僚の教師が様子を見に行き、生徒たちはほかの教師の立ち聞きをとがめた。それから約30分近くにわたって、教師12人に殴る蹴るの暴行を加えた。警察署員約10人が学校からの通報で駆けつけると、生徒は「何だお前らは」などと署員に食ってかかり、さらに乱暴した。警察は3人を現行犯で逮捕。4人を補導した。 同年3月5日、岡崎市教育委員会は緊急校長会を開催。鈴村正弘教育長は「すべてが生徒を指導する教育者の責任。再発防止に全力を尽くせ」と指示し、同日、辞表を提出。3月31日付で辞職した。 同年4月から、甲山中学校では、女子の服装の規定が「制服はスカートだが、男子と同じトレパン(白い綿の長ズボン)を着用」となった。生徒と親は「スカートはなぜいけないのか」「納得できる説明がない」とつめよるが、学校側は「とにかく規則ですから守ってください」で押し通した。当時の教育委員会は女子にトレパンをはかせることを「非行根絶への道の一つ」と考えていた。教員もそれを信じて指導を行った。 生徒は1988年(昭和63年)から制服の見直しについて生徒総会、アンケート、クラス討議を積み重ね、学校側に提案。1989年(平成元年)4月、女子のトレパンはついに廃止された。
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