第1次コートジボワール内戦とは? わかりやすく解説

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第1次コートジボワール内戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:00 UTC 版)

コートジボワール」の記事における「第1次コートジボワール内戦」の解説

詳細は「第1次コートジボワール内戦(英語版)」を参照 2002年9月19日バグボ大統領軍機改革退役迫られたことなどを不服とする軍人ら約750人による反乱軍コートジボワール愛国運動フランス語版英語版)」(MPCI)が、アビジャンブアケなど主要都市蜂起した(第1次コートジボワール内戦(英語版))。政府軍との戦闘によって、反乱軍黒幕と見られるゲイ大統領死亡一方政府ドゥドゥ内相殺害され、アミチア・スポーツ相も身柄拘束され22日までに戦闘による死者270人、負傷者300人に上った22日フランス自国民らの保護目的国軍コートジボワール派遣し27日までに日本人11人を含む1,500人を救出した29日には西アフリカ諸国経済共同体ECOWAS)がガーナアクラで緊急首脳会議開き政府軍反乱軍仲裁乗り出すことを決めたバグボ大統領10月12日にクアシ国防相解任し、自ら国防相兼任する発表対す反乱軍17日ブアケセネガルなどの調停に応じて停戦協定調印政府側も停戦応じたECOWAS26日停戦監視のため西アフリカ諸国平和維持軍ECOMOG)を派遣することで合意し11月には政府反乱軍トーゴロメ和平交渉開始した11月28日西部マン周辺正義平和運動フランス語版英語版)(MJP)や大西部人民運動フランス語版英語版)(MPIGO)を名乗る反政府勢力政府軍交戦2930日にかけてはフランス軍とも衝突して反政府勢力の約10人が死亡しフランス軍兵士1人負傷する事件発生したが、2003年1月パリ郊外開かれた和平会議3つの反政府勢力野党の各代表が暫定政府発足内戦終結和平案に合意し7月には双方が「停戦」を宣言したこの内戦の段階反乱軍コートジボワール新勢力FN)が急速に勢力伸ばし北部地域占領して支配下置いた政府病院関係者教師に対してFN支配地域からの移動命令したため、北部では医療・教育崩壊し衛生環境悪化など人道危機直面した。「停戦」後も政府FN対立続いて南北分断固定化し、国民移動禁じられた。 2004年10月FN挙国一致内閣より離脱した政府軍11月4日FN占領地域を空爆6日政府軍ブアケフランス軍誤爆し、9名の仏軍兵士死亡したフランス軍報復として、アビジャン空港などに駐機していたコートジボワール空軍機(Su-25×2機、ヘリコプター5機)を破壊した。この反動で、政府放送扇動受けたシャルル・ブレ・グデ指導する「ジュンヌ・パトリオット(英語版)」(バグボ大統領派の愛国青年運動)がアビジャン各所暴動始めフランス人民家フランス関連施設など対す略奪暴行殺人事件発生した避難できない外国人およそ数百名を急遽退去させるため、仏軍市内要所一時的に確保その間退去者をヘリコプターアビジャン空港まで移送した。また、この際フランス軍群衆の間で銃撃事件発生したが、実際死傷者数威嚇射撃有無などに関する両国政府主張食い違いがある。 2005年4月南アフリカ仲裁によって政府FN反政府グループの間で、「敵対関係解消」「反政府組織武装解除」などが合意されたが、手続き停滞した国際連合安全保障理事会10月大統領選挙を行うことを計画していたが、武装解除大統領選挙実施必要な住民登録できないために、9月バグボ大統領の任期1年延長することを認めた12月にはセイドゥ・エリマン・ジャラ(en首相に代わって、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)総裁シャルル・コナン・バニーen)が首相に指名され挙国一致内閣再度組閣された。 2006年1月国際連合コートジボワール活動UNOCI)やアフリカ連合AU傘下作業グループが、国民議会任期延長認めない発表したとして、「ジュンヌ・パトリオット」たちがアビジャン市内の道路封鎖したまた、国内フランス軍PKO従事する各国軍(バングラデシュモロッコセネガルなど)の基地フランス大使館国営テレビ前で抗議活動が行われた。西部駐留するバングラデシュ軍はそれらに発砲して4名が死亡した結局ナイジェリアオルシェグン・オバサンジョ大統領が、作業グループにはそのような権限はないと認めて騒動終止符打った。しかし7月19日シャルル・コナン・バニー首相推し進めている、選挙実施のための身分証明書発行方法に不満を持つ「ジュンヌ・パトリオット」が、アビジャン市内主要な道路バリケード築いて交通遮断するなど、騒動再燃した

※この「第1次コートジボワール内戦」の解説は、「コートジボワール」の解説の一部です。
「第1次コートジボワール内戦」を含む「コートジボワール」の記事については、「コートジボワール」の概要を参照ください。

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