第1次イーラム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:57 UTC 版)
「スリランカ内戦」の記事における「第1次イーラム戦争」の解説
詳細は「第1次イーラム戦争(英語版)」を参照 1983年7月、ジャフナ近郊のティンネウェリでLTTEが政府軍を襲撃、13人が殺害された。これに対してコロンボでは反タミル人暴動が勃発、シンハラ人によるタミル人への虐殺行為が市内各地で頻発した。 その後、LTTEと治安部隊による虐殺の応酬が続くものの、1985年7月にインドの仲介によりブータンの首都ティンプーで和平交渉を開始する。1987年7月から1990年3月にかけては、インドによる平和維持軍の派遣が行われた。当初インドはヒンドゥー教主体のタミル人と仏教主体のシンハラ人の対立に対して、中立的な立場であったが、武装解除を巡りLTTEと対立、交戦状態となった。
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