第1次ウニヴェルサール期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:29 UTC 版)
「ウクライナ中央ラーダ」の記事における「第1次ウニヴェルサール期」の解説
ウクライナの大評議会としての地位を確立していった中央ラーダは、ペトログラートにヴィンニチェンコらの代表団を派遣しロシアの臨時政府に対し自治を要求したが、独墺との戦争遂行に支障を来すと考えた臨時政府はこれを拒否した。このことは却ってウクライナの反発を招き、6月23日に中央ラーダは「ウクライナはロシア連邦領内の自治地域である」と宣言する「第1次ウニヴェルサール」(第1次宣言;I Універсал)を出した。 同月に中央ラーダでは内閣に当たる執行機関として「総書記局」を作り、ヴィンニチェンコが総書記長に就任した。ペトリューラは、軍事を担当することになった。そのため、中央ラーダの軍隊やのちのウクライナ人民共和国軍は「中央ラーダ軍」と呼ばれることもあったが、司令官の名前から「ペトリューラ軍」と呼ばれることもある。
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