第1次サムニウム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 04:22 UTC 版)
「サムニウム戦争」の記事における「第1次サムニウム戦争」の解説
当初ローマはこの問題の解決策としてまず丘陵地帯に住むサムニウム人を説得しようと試みるが、逆に不遜に扱われ、これに激怒したローマとサムニウム人との間で戦争が起こった。この戦争を後世では第1次サムニウム戦争と呼ぶ。 第1次サムニウム戦争は紀元前343年から紀元前341年と3年ほどの短い戦争であった。平野での戦闘ではローマが圧勝、しかし数年でローマ人とサムニウム人との間で和議が結ばれた。これは、必要以上の流血を司令官マルクス・ウァレリウス・コルウスは好まず、またサムニウム戦争でローマは他のラテン同盟諸都市に参戦を強要していたために同盟都市の造反を招き、その鎮圧のためにローマは急いで戦争を終結させる必要もあったからである。この戦争によりカプアを中心とするカンパニア地方を手中にした。そしてカンパニア地方の市民にはラテン市民権が付与された。
※この「第1次サムニウム戦争」の解説は、「サムニウム戦争」の解説の一部です。
「第1次サムニウム戦争」を含む「サムニウム戦争」の記事については、「サムニウム戦争」の概要を参照ください。
- 第1次サムニウム戦争のページへのリンク