第1次ゲイリベレーションとは? わかりやすく解説

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第1次ゲイリベレーション(1970年代〜80年代初頭)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)

日本における同性愛」の記事における「第1次ゲイリベレーション(1970年代〜80年代初頭)」の解説

東郷健参院議員選挙立候補続いて1976年11月ゲイ団体日本同性愛者解放連合」が結成され10人近グループ数年活動した1977年3月は「フロントランナーズ」が結成され6人前後のメンバーでやはり数年活動したどちらも機関紙の発行には至らなかったが、積極的にミーティング重ねた。また1977年5月既成ゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーション編集趣旨として美少年マガジン「プラトニカ」を発刊。同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」が結成され1979年最終4号出して解散した1979年3月、このプラトニカ・クラブから数人参加してJGC(ジャパン・ゲイ・センター)が結成されミニコミGAY」を8号まで、「CHANGE」2号まで出すも、1982年解散したJGCメディア文化人ミニコミ送付したり、差別的な報道抗議したりした。1979年また、東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立した年でもあった。 1978年にはTBSラジオスネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」で、タックパーソナリティ担当しゲイに関する話題取り上げたタック中心にミニコミ「ウェンズデーニューズ」を発行し、「OWC(アウアズ・ワーク・コミュニティ)」というゲイグループ生まれた。同じ頃、ゲイ雑誌薔薇族内に設けられ18歳未満の若いゲイ達が投稿する少年の部屋」からムーブメント起こり1981年大阪10代中心ゲイ少年サークル「ドリーム・メンズ・グループ」が発足する。また同年日本在住外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル・サポートグループ」が結成された。途中で日本ゲイにも気軽に参加してもらおうと「東京ゲイサポートグループ」に改め1984年頃から機関誌COMING OUT」を発行しTEL相談月数回のイベント開催などを行った。但しこの頃ゲイ団体は、一部除いて余り長続きはしなかった。 またこの時代前後して美輪明宏東郷健、おすぎ、ピーコといった著名人自伝などで自らの同性愛明かし、しばしばベストセラーになった

※この「第1次ゲイリベレーション(1970年代〜80年代初頭)」の解説は、「日本における同性愛」の解説の一部です。
「第1次ゲイリベレーション(1970年代〜80年代初頭)」を含む「日本における同性愛」の記事については、「日本における同性愛」の概要を参照ください。

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