私は貝になりたいとは? わかりやすく解説

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私は貝になりたい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 02:03 UTC 版)

加藤哲太郎」の記事における「私は貝になりたい」の解説

1952年サンフランシスコ平和条約公布され以降巣鴨プリズンでは進駐軍警戒がゆるむようになった(翌年正式に日本返還され東京拘置所改称)。これに乗じて哲太郎は岩波書店の「世界」に密かに投稿し、同誌10月号に「私達再軍備引換え切符ではない」が「一戦犯者」名義掲載された。哲太郎は、吉田茂内閣再軍備憲法改正への不満をそらすため戦犯釈放抱き合わせにしようとしていると批判したこの内容に笹川良一らが怒り筆者犯人捜しを行った。しかし岩波書店筆者漏らさず、また服役中戦犯に哲太郎の投稿への支持者多かったため、やがて沙汰やみとなった当時戦犯は、再軍備派と護憲派割れていた(内海愛子後者を「平和グループ」と呼んでいる)。後者属した飯田進の回想によると、笹川の「これはあなたたち戦犯者釈放運動水をさすものだ」という意見伝えられると、「中身がわからなくちゃ、その善悪決めようが無いじゃないか」と意見する者がいたため、巣鴨プリズン全棟で「私達再軍備引換え切符ではない」が読み上げられ内容可否を問うことになったその結果、「多少えげつない表現はあるが、論理的には筋が通っている。あながち間違ったことを書いてはいない。笹川も案外ケツの穴が小さいな」ということ一件落着したという。 1953年2月、『あれから七年――学徒戦犯獄中からの手紙』(飯塚浩二編、光文社)に「志村郁夫」「戸塚良夫名義寄稿した当時哲太郎は服役中であり、寄稿者はいずれペンネームだった。志村郁夫名義書いた『狂える戦犯死刑囚』では、後に放映されるドラマ『私は貝になりたい』原作となる遺書書かれていた。これは、自分経験や、また一時収容されていた精神病院精神病診断されれば、死刑執行されなかった)に一緒に入院していた人物の言動元に赤木曹長という架空の人物仮託したものである赤木俘虜虐待の罪で処刑されたという設定であり、これは哲太郎がそうなり得た存在だった。 1958年4月残りの刑を免除され哲太郎は出所同年10月31日12月21日二度にわたり、ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)にてドラマ『私は貝になりたい』放映された。この作品中主人公書いた遺書内容が(一部変えられいたものの)『狂える戦犯死刑囚』のものと酷似していたが、哲太郎の元に何の連絡もなかった。哲太郎は同ドラマ脚本執筆した橋本忍に、自分原作認め今後再放送映画化に際しては、光文社刊『あれから七年』を原作としてクレジット入れるよう要求した。しかし橋本は「週刊朝日」に引用され件の遺書利用したもので、ニュース材料として自分創作したものだとこれを拒否。さらに「このまゝ沈黙して呉れるなら十万円を出します。それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と発言した哲太郎は、橋本のこの言動を、自分強請たかりの類い侮辱したものと感じた1959年1月23日志村郁夫は自分であると名乗り出て、社団法人日本著作権協議会仲裁委員会通じ橋本ラジオ東京テレビ著作権法違反であると申立て、さらに版権主張した。ただ、「週刊朝日」については、実際遺書勘違いしていたと落ち度認めたため、それ以上追及はしなかった。その結果、まず東宝との間に、以下のタイトル入れることで映画化契約結んだ原作 物語構成 橋本忍 題名遺書 加藤哲太郎 一方橋本ラジオ東京テレビ最初はこの条件受け入れなかったが、東宝哲太郎と契約結んだことで、橋本著作権協議会に同じ条件仲裁受諾するという受諾書を提出したまた、この頃哲太郎は結核患っており、心身疲労もあって仲裁斡旋取り下げ考え始めていた。ところが、12月26日ラジオ東京テレビクレジット修正をせずまたも再放送行ったので、ついに哲太郎は橋本と@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ラジオ東京テレビへの刑事告訴状[要検証ノート]を東京地検提出したが、地検取り上げなかった。 1960年11月東京放送ラジオ東京テレビより改称)と和解し東宝との契約準じた申し合わせ行ったこのため現在では上記のようにクレジットされるようになっているこの他山口青・竹谷しげる著『壁厚き部屋』(理論社復刻版鷺草発行所)、巣鴨遺書編纂会編『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂刊行事務所復刻版講談社)からの剽窃もあったと哲太郎は主張した。しかし、剽窃があったとされる記事筆者名乗り出たものはなく(特に、『世紀の遺書は文字通り処刑され戦犯遺書であるため)、そのため契約には影響していない。 『私は貝になりたい』その後ドラマ1994年)と映画2008年)で哲太没後一度ずつリメイクされている。1994年のドラマリメイク版でもクレジット踏襲され、2008年の映画リメイク版では、「遺書原作題名 加藤哲太郎」となり、出典となった『狂える戦犯死刑囚』も初め明記された。

※この「私は貝になりたい」の解説は、「加藤哲太郎」の解説の一部です。
「私は貝になりたい」を含む「加藤哲太郎」の記事については、「加藤哲太郎」の概要を参照ください。

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