神戸の新教育課程論
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神戸は1922年に初めて「新学習課程」を公にした。彼は『学習本位 理科の新指導法』の中で「新学習課程の提案」として次のように書いた。 私は次の五段階を提案する。 第一段 疑問……問題の構成 第二段 仮定……結論の予想 第三段 計画……解決方法の工夫 第四段 遂行……観察、実験、考察、解決 第五段 批判……検証、発表、討議 ヘルバルト派の五段階教授法が、諸事実の提示から始まり、それらを比較して総括する、つまり帰納することによって概念法則に達するというのと違って、神戸の五段階は最初に問題、次にその結論の予想がおかれ、計画・実験・検証へ進むものである。これは及川平治の学習過程論を受け継ぎそれを定式化したものであった。 第一段の問題の構成は「児童の作れる疑問を、教師の指導のもとに共同的に選題せしめて、児童各個の解決に委(まか)す」というものである。 第二段は神戸がもっとも重要視した段で、「予想を立てる必要」を神戸は主張している。 いかなる活動にも目的がなければならぬ。…ただ漫然と実験し観察することは科学的活動の本義ではない。…何者かその分析の方向を指示するところの目的意識がなくてはならぬ。…「こうではあるまいか」という予想が生まれたときに、探求の動機が確立する。仕事に対する熱心もこれによって発動する。…予想がひらめいたときに問題の内容が明瞭になり、学習の動機も活動を始めるものである。 神戸は、 見たまえ、〈実験観察は虚心坦懐なるべし〉という言葉を。多くの理科教授法の書物の中には、何らの考察をめぐらすことなしに、翻訳そのままに、ほとんど機械的に、実験観察上の一大注意要件として、この箇条を麗々しく掲げておきます。 と批判している。神戸は帰納法を批判してこうも書いている。 フランシス・ベーコンは一般に帰納論理の創設者として知られ、近世学術の研究法に先鞭をつけ、もって自然科学の基礎を開いた科学の恩人であります。ベーコンは「およそ学問の研究は多くの事実を経験することに出発し、しかして漸次これらに通ずる法則を発見するに至るところの帰納法によらねばならぬ」と言われている。これだけであるなら名言で、まことにけっこうなことです。 …また(ベーコンは)こう言っています「中世の学者が採用するところの真理発見の方法は、自然を予断するものであって、これがそもそも誤った研究方法である」と。…すなわちその予断を誤らしめるところの、先入の見というのは、…それは妄想であって、真理探究の上に害をなすものとしているのです。帰納法の一般の解釈もこれと同様なものです。 …先入の見を無くせとは「ものを見るときは何も考えてはいけない」というのと同様であります。これでは理科の能力が伸びる道理がありません。されば、ベーコンが自然を予断することを、真理発見の方法を誤るとしたのが謬見で、かえってこの予想の発動を奨励するのが、我々学習者指導者の大切な務めである。 第三段は、「児童が独自に問題の解決方法を工夫し、独力をもって計画を立てて学習を進めるところに、真の科学的精神もそういうくふうの精神も存する」 第四段は、一歩一歩の観察、次々に起こる実験の変化を学習帳に記録し、留めさせることが勧められる。 神戸はさらに従来の帰納主義の誤りを指摘し、「実験結果が予想通りであったとしても、ただ一回の実験観察で結果を確定することは決して最良の研究態度ではない」として、「最後の段にいたって、収得したる知識をさらに形式を改めて演繹的に発表させる」ことが必要だと述べた。 第五段では、クラス共通の問題を各個人が実験・考察を勧めることを基本としている。そこで最後の段階には発表・討議がくる。神戸は討議について、「児童を社交的被暗示性を利用して、他人の研究を参考とすることができる」「児童の優勝本能を利用することになるから、個人的学習が白熱的全心的に進行する」「この場合における劣等生は、たとい発言者の立場になくとも単なる聴従者ではない。討議場における一員である。沈黙の中にあっても、力相当の判断をもってこれに臨んでいる」としている。 さらに、「討議における教師の役割は単に議長の立場にあるのが良い。彼らに干渉することなく、公平なる議長の態度を保つがよい」として、個人中心の考えがはっきり確保されている。 神戸は新学習課程の効果として、子どもたちを「全心的・白熱的」にし、「独創くふうの力」を養い、「人生無上の幸福感」を抱かせるだけでなく、「実に人を作るの道」になるとしている。 「仮説実験的認識論」も参照 「科学的認識の成立条件」も参照
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