流布された里謡とは? わかりやすく解説

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流布された里謡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:04 UTC 版)

歩兵第8連隊」の記事における「流布された里謡」の解説

歩兵第8連隊は「またも負けたか八連隊、それでは勲章連隊京都歩兵第9連隊と「くれんたい(もらえませんよ)」の語呂合わせ)」という里謡と、口数多く弁舌が立ち、商人気質損得勘定に敏く、かつ反権力的というステレオタイプかつ偏見混じり大阪商人気質イメージワンセット語られた事により、「大阪兵隊は弱い」という風説生まれた。しかし、実際に第8連隊特段負け戦をしておらず、また背後聳える盃ケ岳や多紀連山使った厳し訓練演習で「丹波の鬼」「山岳戦篠山連隊」と恐れられ信頼され篠山歩兵第70連隊直系母体(第8連隊内から要員捻出編成され篠山移駐した連隊)にもなっており、決し弱かったわけではなく大阪鎮台時代西南の役連隊従事した際には明治天皇より、「戦功嘉賞」の詔勅日本軍唯一賜るという偉業達している。太平洋戦争時のバターン・コレヒドール攻略戦に於いても第8連隊奮戦勝利しており、軍司令官本間雅晴中将から謝意述べられている。 編成地と所在地大阪ではあるが、所属する隊員には、奈良県始めとした近畿の各府県徳島県など他の府県出身者仕事大阪出て大阪徴兵検査受けた大阪府外出身者も含まれていた。これは士官にも該当することであり、当然他の連隊にも当てはまることである。この里謡第4師団創設した当初から言われており、谷沢永一は、徳富蘇峰が『近代日本国民史』(講談社学術文庫西南の役(五)(六))で引用したのが決定版役割果たした指摘している。 日本軍解散後平成になってからも上記里謡唱える団体人物が後を絶たず、新聞社、出版社知識人にも散見される。『大阪と八連隊-大阪師団抄史』を記した編集した中野公策は、今東光こつまなんきん』、祖父江孝男浅井得一 - 中央公論社県民性』、司馬遼太郎講談社昭和59年10月号『現代』における小沢昭一谷沢永一イーデス・ハンソンとの鼎談取り上げている。 谷沢永一は、自身連載中野著書取り上げ、「この里謡事実としての根拠絶無である旨は今や明白となった」とし、自身厳しく叩かれていると記述している。しかし、「捏造された架空聖徳太子現今至って頑固に信じている人が少なくないのと同様、いったん聞き知った訛伝修正するのを好まず拒否する」とも記述し、「ほかならぬ大阪人このような見下し語になぜ抵抗せず、むしろ口々に言い伝え理由詮索すべきである。」と指摘しゴーストップ事件関一主導による大阪城再建時に移転させられ第4師団対し、「私ども大阪人はこの一応は自虐的な言い廻し陰に隠れて、実は陸軍へ反感共有したのである。」との自説開陳している。 中野は、自身従軍した伊藤桂一兵隊たちの陸軍史』、角田房子いっさい夢にござ候(本田晴中将伝)』にもこの里謡取り上げられていると指摘しており、それらは関幸輔が「現代史研究会」の『現代史研究 第七集』で発表した日本一弱かった師団と言う文章引用し記述展開している(「日本一弱かった師団」は、『大阪と八連隊-大阪師団抄史』で取り上げ、「虚言妄言ひとりよがりの部を指摘する」、「エスカーレートした粉飾の上塗り指摘する」と断罪し、詳細に反論している)。 伊藤桂一は、文春新書若き世代に語る日中戦争』で、連隊にも県民性があったと指摘し、「大阪兵隊大阪人らしく、確実に負けるとわかっているときは無理をせず、勝て見込みがでてきたら反撃する。やはり合理的というのか、頭のいい戦い方しました。」、「関西部隊には、何がなんでも戦って玉砕する、と言う考えはないかもしれません。やむなく玉砕することはあったにしても。」との意見語っている。 石原慎太郎は、「大阪歩兵第八連隊は弱いので有名だったけれども(笑)」と語り唐沢俊一木村政雄などは、この里謡事実との前提戦争徴兵制について語っている。 自身も第8連隊所属していた東功によれば日本滞在していたイギリス人学者ゴードン・スミスが、イギリスの『モーニング・クロニクル』に「大阪人気質」との記事寄稿し、「大阪兵隊弱腰だとさげすまれていた」、それゆえ大阪若い世代このたびロシアとの戦いで汚名をそそぎ、栄誉を得なければ必死覚悟をし、南山での戦いにおいてすさまじ気力発揮することになった」との記述指摘し、この里謡影響強かった指摘している。 『大阪と八連隊-大阪師団抄史』を記した編集した中野は、「心ない人々によって、根も葉もない俗謡濡れ衣被せられたまま、国難殉じられた歩八出身者及び、俗謡のため迷惑を蒙っておられる大阪出身部隊大阪人冤罪は、誰に訴えたらその潔白認めてくれるのでしょうか。純真素朴な気持同胞身代わりとなって死んでゆかれた幾人々お気持ち察するとき、万感胸に迫り堪え切れぬものがあって、この書を書き残しました」とあとがき記している。

※この「流布された里謡」の解説は、「歩兵第8連隊」の解説の一部です。
「流布された里謡」を含む「歩兵第8連隊」の記事については、「歩兵第8連隊」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの歩兵第8連隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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