流布本系と騎士道本系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:05 UTC 版)
「トリスタンとイゾルデ」の記事における「流布本系と騎士道本系」の解説
『トリスタンとイゾルデ』の物語には異本が多いが、大きく流布本(俗伝本)系と宮廷本(風雅体本、騎士道本)系という二つの流れに分けられている。流布本系では荒々しい登場人物が情熱や衝動のままに動く物語であるが、北フランスの宮廷詩人(吟遊詩人)たちが12世紀に新しくあらわれてきた「ミンネ」という語で表される恋愛思想に当てはめて作り直し、宮廷本系の流れが生まれた。前者の代表作としては、ドイツのアイルハルトのテキスト(1170年頃、または1185年頃、テキストは成立年代頃の写本の断片が残存する程度)、ベルールのフランス西北部(ノルマンジー)方言で書かれたテキスト(1189年頃)、が、また後者の代表作としてはフランスのトマのアングロ=ノルマン語で書かれたテキスト(1170 - 75年頃)がある。ドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク はトマの作品を原拠として卓越した芸術的な文体で書いた(1210年頃、未完)。また派生した独立のテキストとして2つの "La Folie Tristan" が残存する。 物語のなかで重要な役割を占めるのは母イゾルデが持たせた媚薬だが、その役割の解釈は流布本と風雅体本とで異なっている。風雅体本ではミンネの観念からいって、恋には一定の作法がなくてはならず、情熱に突き動かされた求愛は騎士にふさわしい恋ではない。ましてや薬のような外部からの力による恋は考えられない。しかし、流布本で既につくり上げられた物語は魅力もあり、定着しているため、宮廷詩人たちは解釈のほうを変えることにした。すなわち媚薬はもともと隠れていた感情を呼び覚ます薬であって二人の恋愛感情はもともと存在したが抑えつけられていたものだ、という解釈である。
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