流布と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 10:29 UTC 版)
軍隊内部では、奉読が習慣になっていたといわれ、野砲兵第22連隊では起床後の奉読が習慣になっていた。同様の体験談がある一方で、軍人勅諭は新兵に対し丸暗記を強制させるほど重要性が高い物であったが、戦陣訓にはその様な強制が行われなかったという指摘もある。司馬遼太郎は関東軍で教育を受け、現役兵のみの連隊(久留米の戦車第1連隊)に属してほんの一時期初年兵教育もさせられたが、戦陣訓が教材に使われている現場を見たことがない、幹部候補生試験などでも軍人勅諭の暗記はテストの対象になるが戦陣訓はそういう材料になっていなかったように思える、と書いている。 一般国民に対しては用紙統制が行われているなか、1941年だけでも少なくとも『戦陣訓述義』『戦陣訓話』など12種の解説書、『たましひをきたへる少国民の戦陣訓』『少年愛国戦陣訓物語』など5種の教材が出版許可を受けて出版されており、以後も敗戦まで種々のものが出た。このほかに「戦陣訓カルタ」なども作られた。また、学校での教育にとりいれられ、暗記が推奨された。そのため、現在でも「暗誦できる」人もいる。大阪府の枚方遊園では「戦陣訓の人形芸術化」として菊人形の展示も行われた。 戦陣訓は歌謡化もなされ、ビクター、ポリドール、キングの各社競作で作られ、1941年4月に発売された。 『戦陣訓の歌』(ビクターレコード):梅木三郎作詞・須摩洋朔作曲・徳山璉歌。 『戦陣訓の歌』(ポリドールレコード):藤田まさと作詞・江口夜詩作曲・奥田良三、関種子、ヴォーカルフォア合唱団歌。 『戦陣訓の歌』(キングレコード):吉川英治作詞・永田絃次郎歌。 新聞記者出身の梅木三郎が詞を付け、軍楽隊の須摩洋朔が曲をつけ徳山璉が歌ったビクター盤が一番広く普及し歌われた。1972年、フィリピンルバング島から発見された小野田寛郎元陸軍少尉がは記者会見で、ビクター盤の『戦陣訓の歌』の3番にある「一髪土に残さずも…」を引用して発言した。なお現在でも陸上自衛隊中央音楽隊は行進曲『戦陣訓』を演奏する。 また、戦国時代に「生きて虜囚の辱を受けず」を実践した人物をモデルとした映画法による国策映画『鳥居強右衛門』(日活1942年)で「生きて虜囚の辱を受けず」の一節が台詞として述べられた。
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