歌詞の変遷
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海兵隊讃歌は時代と連動し、海兵隊航空団が拡張されて本格的な航空戦力になった1942年、1番の歌詞第4節が「On the land as on the sea」(陸でも海でも)が、「In the air, on land, and sea」(空、陸そして海で)に変更されている。ちなみに3番で空軍への言及がないのは空軍が独立したのが1947年からであるため(それまでは陸軍航空隊だった)。
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歌詞の変遷
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農具など野道具や山道具を製作する職人を「野鍛冶」と呼ぶ。この歌の主人公である老職人も、歴史に名が残るような刀鍛冶ではなく、地域の農民とともに生きる無名の野鍛冶である。しかし彼は武勇のための兵器ではなく、民衆が平和時に生産に励むための農器具を鍛える自己の職業をかえって大いに誇りとし、勤勉に日々の労働に没頭している光景が初出時におけるこの唱歌の描く情景であった。 だが1942年(昭和17年)3月刊の「初等科音楽(二)」に収録の際には、平和を歌う三番以降の歌詞の後半が戦時下の国策に不適当として教科書から削除され、戦後も復活することがなかった。また、一番の「しばしもやまずに」が「休まず」へ、「飛び散る火の花」が「飛び散る火花よ」へ、二番の「あるじは名高きいつこく老爺」が「あるじは名高いいっこく者よ」などと変更された(「いっこくもの:一刻者」は「一徹者」と同義。頑固おやじの意)。 そして戦後の昭和22年には文語調が子供には難しいとの理由から、題名が「村のかじや」と平仮名表記にされるとともに、「刃物」が「鋤鍬(すきくわ)」と変更されるなどさらに手が加えられ、最終的な歌詞は以下のようになった。用語を平易なものに書き換え、特に歌の後半部分が切り落とされたことで、本来の歌の核心であった平和賛歌・労働賛歌としての性格が失われた改変過程には異論もある。 昭和17年の改定後の歌詞 一、 しばしも休まず槌打つ響 飛び散る火花よ はしる湯玉 ふゐごの風さへ息をもつがず 仕事に精出す村の鍛冶屋 二、 あるじは名高いいっこく者よ 早起き早寝のやまひ知らず 鐵より堅いとじまんの腕で 打ち出す刃物に心こもる 昭和22年改定後の最終的な歌詞 一、 しばしも休まず槌うつ響き 飛びちる火花よ はしる湯玉 ふいごの風さえ息をもつがず 仕事にせい出す村のかじ屋 二、 あるじは名高い働きものよ 早起き早寝のやまい知らず 永年きたえたじまんの腕で うち出す鋤鍬 心こもる
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歌詞の変遷
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1910年(明治43年)に『尋常小学読本唱歌』に発表された。敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。
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歌詞の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:06 UTC 版)
3番の「敵の鉄道うち毀ち」の部分を、「敵の鉄道うち壊し」と歌うものもある。 4番の「鍬取る工兵助けつつ」の部分が、屯田兵と混同されるという指摘があったため「槌取る工兵助けつつ」と変更されている。ただし、第二次世界大戦以後に録音された音源は、殆どが鍬で歌われている。 同じく4番の「わが軍隊の砲弾は」の部分を、「わが砲兵の砲弾は」と歌うものもある。 6番の「騎兵の任の重ければ」の部分を、「騎兵の任務重ければ」と歌うものもある。 大正から昭和に掛けて新たな兵種が増えたため、1937年(昭和12年)に藤田まさとが「日本陸軍」に戦車兵、機関銃兵、航空兵、通信兵等を追加した、「新日本陸軍」を発表した。藤田版の新日本陸軍は、1番と2番に日本陸軍の「出征」と「斥候兵」を配し、3番以降の歌詞が上記の「爆撃隊」から「皇軍凱旋」まで繋がる全7番の歌詞として収録されている事が多い。 1937年(藤田版の新日本陸軍と同年)には西条八十も「日本陸軍」の歌詞に「航空兵」「高射砲兵」「鉄道隊」「電信隊」「戦車隊」「機関銃隊」「軍犬軍鳩」を追加しており、こちらも「新日本陸軍」と呼ばれている。
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歌詞 の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 01:49 UTC 版)
前口上 仰げば北針斜めに指すところ 永遠の光ありて 不滅の光芒は燦として輝き 頭を巡らせば北に比叡山脈 南に金剛楠公姿が覆いたち 東を眺むれば 信貴生駒連山はきょうきょうとしてそそり立つ おお これぞ自然の恵み豊かなる河内野の一角に 誇り立つ おお 我らが母校近畿大学なり おお 修児三万が いざやいざ 歌わんかな 踊らんかな 舞わんかな 狂わんかな 我らが熱血の歌 闘争の踊りは 名物 近大節の一節を ソウリャ 此処は浪花か大阪街か 大阪街なら大学は近畿 大学近畿の学生さんは 度胸一つの男伊達 度胸一つで長瀬の街を 歩いて行きます紋付袴 紋付袴は近大の育ち ぼろはおいらの旗印 ぼろはまとえど心は錦 どんなものにも恐れはせぬぞ どんなものにも恐れはせぬが 可愛いあの娘にゃかなやせぬ 可愛いあの娘は何時でもすてる 母校の為なら生命までも 生命すててもその名は残る 大学近畿のその名は残る 大学近畿のその名は残る 報国節の前口上 仰げば北針斜めに指すところ 永遠の光ありて 不滅の光芒は燦として輝く ああ 頭を巡らせば北に比叡山脈 南に金剛楠公父子が覆いたち 西に清き淀川の水が流れ 豊臣四百年前不落の城が輝きて 東を眺むれば 信貴生駒連山は巍々してそそり立つ ああ 自然の恵み豊かなる河内ヶ野の一角に そそり立つ 我らが大阪専門 修児八千が いざやいざ 歌わんかな 踊らんかな 舞わんかな 我らが闘争の踊り 報国節の一節を アイン ツヴァイ ドライス 「報国節」の時代には「長瀬の街」が「御國の道」、「紋付き袴」が「教練服」、「どんなもの」が「何者さま」「母校のためなら」が「御國のためなら」であった。 また、広島県呉市にあった工学部(現在は東広島市高屋に移転)においては、工学部応援団により前口上や歌詞に広島や呉の情景を詠んだ工学部版の近大節が唄われていた。
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