標準日本語の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:30 UTC 版)
現代の規範主義的な日本語の場合、自分が支配者であり、相手が服従者であるとして、相手を軽蔑する姿勢を、動詞接辞やコピュラ動詞によるスピーチレベルの違い、選択する語彙によるスピーチの軽重の違い、動詞や人称代名詞の使用法、呼称、依頼表現、感謝表現、陳謝表現、挨拶、などすべての領域で明確に表現でき、実際にこれらの領域全てにおいて、貴賎や主従に応じた非対称な待遇表現が多く使用され、貴賎や主従がそのまま尊蔑に反映されている。イデオロギーとしても、これらの不平等を、劣位者・服従者が受け入れることは、「礼儀」として、これらの人々が当然守るべき義務と規範化されている。 ネウストプニー (1974:22-23) では、この時点での現代標準日本語を、「基本的には連帯的な特徴を表現するが、身分的特徴も混ざっているシステム」としている。また、「です・ます」と、「だ・である」との使い分けについては、ネウストプニー (1974:21) で「ほとんど、目上か目下かの問題ではなく、親しさの程度による」、ネウストプニー (1974:23) で「殆ど連帯的特徴による」としている。しかし、続く部分であるネウストプニー (1974:23-24) で、当時の現代標準日本語において、「です・ます」と「だ・である」が非対称・差別的に使われる実例を、客と店員で、客を「目上」(支配者・優位者)後者を「目下」(服従者・劣位者)であると位置づけて紹介している。続いて「現代ヨーロッパ語の中では、程度は日本語より少ないが」と断った上で、現代西ヨーロッパ諸語における、呼称、人称代名詞による不平等な軽蔑あるいは尊敬の表現について述べ、最後に「以上のようなわずかの例外をのぞくと、現代ヨーロッパの諸言語の敬語は、殆ど完全に、身分的なものではなく、親しさの程度によるものである。」と結んで、現代標準日本語と、西ヨーロッパ諸語の間に、身分か連帯的特徴(平等)かどちらを重視するかで差異を設けている。また、ネウストプニー(1970:32-33)では、標準日本語のイデオロギーになれた人物の英語コミュニケーションの特徴として、「日本語で目下とみられるような人に対する場合には、英語としては明らかに乱暴な態度が出ることがある。」とし、例として「店の売子」「掃除婦」「小使いさん」「若い助手」を、「同等な人間」、「平等に待遇」すべき人間としてでなく、日本標準語同様に下賎な存在として軽蔑することが見られると指摘している。 南(1987)では、この時期の日本標準語のイデオロギーにおいて待遇表現上、軽蔑されることが許されている対象として、南(1987), p. 100-104で、社会階層で劣った者、自分より出生が晩い者、組織の加入が晩い者、職位における被支配者、女性、マイノリティー、能力が劣った者、店員、物を借りたり頼んだりする側、教えられる側を挙げ、この内女性とマイノリティーへの差別(女性差別、人種差別)のみを「差別的上下関係」として、ほかは差別ではないとして分類している。また、南(1987), p. 115では、この時点での標準日本語では、貴賎や主従に基づく待遇表現が優勢であると主張している。南(1987), p. 132-133では、丁寧な待遇表現を用いることで却って話者の品格教養を誇示し、相手を軽蔑する表現にも触れている。 蒲谷ほか(1998), p. 8-10では、「ここではあくまでも、『社会における人間関係』を相対的に位置づけることに主眼があり、『上下関係』というよりはむしろ『人間関係』の相対的距離間を示すものであるということです。」「絶対的な上下関係があるというような考え方や、人間を上下関係で捉えるという見方とは全く相容れないものであることは、言うまでもありません。」と但し書きはつけているものの、現実には、P8で親疎関係をも上下に位置付けるよう転換すると宣言したうえで、P9-P10にあるその表において、人間を『+2』から『-2』 までのポイント制に基づく上下関係で捉え、後輩(後に入った者)を劣位者として位置づけ、日本標準語規範主義において設定される人間間の貴賎と主従の関係と、それに伴う貴賎と主従の関係を明示した日本標準語での規範的待遇表現の内容をそのまま再生産して、かつそれを整理して提示している。 蒲谷ほか(1998), p. 208では、「『あなた』には、(中略)『-1』の『相手』であっても粗末には扱わないといった機能などが中心になると言えましょう」と述べており、例として教師と学生、上司と部下を挙げ、支配する身分である前者が、後者に「あなた」を使うのは適切であるが、服従する身分である後者が、前者に「あなた」を使うことを、「対等の立場であることを特別に強調したい状況がない限り」と但し書きを付けてはいるものの、原則として、服従すべき身分であるにも拘らず、支配すべき身分である相手を「優位者」(支配者)と認めない反乱行為であるとして、「当然失礼な言い方」とする認識を示している。 蒲谷ほか(1998), p. 208では、「また、妻が夫を、『ねえ、あなた』などと呼ぶ場合には、やや親しみ(?)も込められていると言えますが、夫が妻を『おまえ』ではなく『あなた』と呼ぶ場合には、やや改まった感じで対等の立場であることを強調しているといった感じがあります。」と述べ、この時期の標準日本語における規範主義的な待遇表現で、夫婦は通常時対等な待遇表現をされず、妻は夫より下賎で服従する立場である待遇表現を受けるのが通則であるとの、日本規範主義文化における男尊女卑の主従関係を反映した待遇表現を通則であるとみなす認識が示されている。 三輪(2000), p. 92-93では、その当時の標準日本語についての認識を示したものとして、「日本語では、状況や場面によっては敬語に関して非相互的な事態が少なくない。目上に対して丁寧な敬語を使う人が、目下に対してはしばしばぞんざいになる。」「売買の場でも売る側が丁重な敬語体で話し、買う側が常語体で話すのは日本語ではしばしばあることだ。」「日本ではそれが許される、そうすべきだ、と考えている人が、女性も含めて、少なくない。」「時には、店員の極めて丁重な接客用語と、客の側の常語体との落差の激しさに、傍らで聞いていて聞き辛くなることもある。」と述べて、この当時の日本標準語において、買い手が支配者、売り手が服従者として待遇表現上位置づけられていたと記述し、併せてその後で、坂口安吾の「敬語論」(坂口:1948)で、物不足の際は売る側が支配者で、買う側が服従者と待遇表現上位置づけられていたと書かれていたとして紹介し、売り手買い手の間の現実の力関係がこの2つの現象を統一的に記述するために注目すべき点であると述べている。 また、三輪(2000), p. 93-94では、この当時の日本標準語の待遇表現についての認識を示したものとして、非相互的な敬語使用は、上司部下だけでなく、上級生下級生、先輩と後輩の間にもあり、特に部活の先輩と後輩には顕著なようであるという内容を提示している。その後で、三輪は、「そして上に対して丁重な敬語を使うものは、往々にして下にたいしてぞんざい尊大な話しぶりになり、しかも下からは丁重な敬語を要求して、その些細な誤りでも咎めだてするところがある。日本語敬語は、上位者にとっては心地よい言語であろうが、下位者にとっては不愉快なことの多い言語である。上司・部下と先輩・後輩との言葉遣いの非相互性は、後輩が上司になったり、逆に先輩が部下になったりした時、双方にしばしば深刻な感情問題を引き起こすこともよく知られる。」と述べ、日本標準語規範主義待遇表現を、「日本語敬語」と位置付けて、その主従関係の明示性が、社会上屈服させられ劣位におかれた者の自尊心を傷つけることを指摘している。
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