東レ時代とは? わかりやすく解説

東レ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 01:39 UTC 版)

加藤陽一」の記事における「東レ時代」の解説

筑波大学卒業後、Vリーグ東レ・アローズ入団チーム準優勝導き新人賞敢闘賞受賞Vリーグオールスターでもファン投票1位に選ばれるなど、Vリーグ代表する選手となった。しかし、全日本代表がシドニーオリンピック最終予選五輪出場逃すと、加藤徐々に世界との差を感じ始め海外挑戦決意する

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東レ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:50 UTC 版)

木村沙織」の記事における「東レ時代」の解説

高校卒業後は東レ入社した2005年7月開催女子ジュニア世界選手権U-20では、全試合レギュラー出場し得点王輝き復活遂げる。9月1日からのアジア選手権では、当時イタリアリーグへ派遣移籍していたNECレッドロケッツ高橋みゆき代役担ってエースとして活躍した自身初のリーグとなった第12回Vリーグでは、開幕戦ライトスタメン出場を果たす。この試合でのアタック決定率はチームトップの52.0%、サービスエースも2本決め初白星貢献その後もレフト・ライトでスタメン出場続けリーグ前半チーム快進撃原動力となったリーグ後半に入ると、アタック決定率比較安定していたが、サーブ集中して狙われ攻撃パターン封じられた。また、腰痛影響からかキャッチ不安定さもみられたが、アタック決定率リーグ6位、サーブ効果率リーグ9位という成績新人賞受賞した2006年世界選手権出場2007年アジア選手権では日本優勝大きく貢献しベストサーバー賞を獲得同年ワールドカップ出場した2007年天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会優勝し初代チャンピオンとなった2008年2007-08プレミアリーグにおいて東レリーグ初優勝貢献しベスト6賞を獲得した同年8月北京オリンピック出場した2009年2008-09プレミアリーグにおいて女子史上初の二連覇貢献し前年引き続きベスト6賞を獲得した日本人ベストスコアラー)。同年5月第58回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会優勝し自身初となる黒賞(最高殊勲選手)とベスト6賞を獲得した。 妹・木村美里2010年より同チーム所属している。 2010年2009-10プレミアリーグにおいて女子史上初の三連覇貢献し自身初のMVPに輝くとともに3年連続ベスト6賞を獲得したまた、熊前知加子の持つ最多得点部門記録塗り替え、レギュラーラウンドで合計566点(アタック496点、ブロック43点、サーブ27点)を記録しVリーグ日本記録賞(最多得点部門)を受賞した同年5月第59回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会優勝し2年連続となる黒賞とベスト6賞を獲得した決勝JT戦では、3セット目に一人14点を稼ぐ活躍見せたワールドグランプリ2010では、故障明け栗原恵不参加だったため、臨時で副キャプテン務めた攻守中心となりチーム引っ張り予選ラウンドでは165得点決勝ラウンドでは105得点挙げ予選決勝ともにベストスコアラー輝いたチームイタリア2度勝利したり、9年ぶりにブラジル勝利するなど健闘したが、最終順位は5位に終わった同年11月開催世界選手権では、32年ぶりの銅メダル獲得大きく貢献したエースとしてほぼフル出場し、ベストスコアラーランキングではトルコのネスリハンに次ぐ第2位で、アタック本数サーブ受数、サーブ本数においては選手の中で一番の数字であった2011年11月2日日本文化出版から自身初めてとなるフォト&エッセイSaori」が発売された。発売記念して編集担当者管理するtwitter木村沙織フォト&エッセイSaori』)が期間限定更新された。木村本人がつぶやくことはなかったが、制作時の裏話や彼女の近況などを編集者通して窺い知る事ができた。また、その中で木村本人への質問募りバレーボール専門誌月刊バレーボール誌上回答を行うという企画が行われた。 ワールドカップ2011では早いトス挑戦したワールドカップ時は本来のトス戻した影響や、直前中心メンバー離脱などもあり、チームも彼女自身序盤調子が上がらなかった。若手台頭などがあり徐々にチーム固まっていき、最終的に当時世界ランキング1位のブラジル2位アメリカストレートで破るなど怒涛巻き返しをみせ、5連勝大会締めくくった。しかし最終順位は4位となり、上位3チームまでに与えられるロンドン五輪出場獲得にはあと一歩届かなかった。彼女自身序盤こそ苦しんだものの、その後安定した活躍をみせ、最終的にベストスコアラー第4位、ベストアタッカー第5位、ベストブロッカー13位、ベストサーバー11位、ベストレシーバー第3位ベストディガー10位という攻守バランス取れた個人成績残した。特にベストレシーバーベストディガー部門においては守備専門選手リベロを除くと共に最上位であり、彼女の守備能力の高さを証明する結果となった2012年2011-12プレミアリーグにおいて、東レアローズ4度目優勝貢献した決勝戦では両チーム最多20得点をあげ、5年連続ベスト6賞を受賞したシーズン途中の2レグ終盤チームでの練習中に足首捻挫し全治3週間という診断受けた2012年2月11日12日行われた岐阜大会ではチーム帯同はせず、翌週山形大会からベンチ復帰した試合には出場しなかった)。実質的な復帰であった2月25日岡山シーガルズ戦では絶不調アタックで2得点しかあげる事が出来ず、2セット目の途中で交代余儀なくされた。チームメイトセッター中道瞳によると、翌日朝練習で木村は非常にピリピリとした雰囲気一言も口を利かなかったという。こんなことは初めてで、中道その日試合2月26日久光製薬戦)で出来るだけ女にトス上げることを心がけたという。故障開けにもかかわらず彼女は試合にフルセットフル出場しチーム最多24得点をあげ、チーム勝利を収めた2012年6月ロンドンオリンピック代表メンバー選出された。準々決勝対中国戦では江畑幸子と共にチーム最多33得点叩き出す活躍で、これまでの五輪1セットも取る事が出来なかった相手フルセット激戦の末に勝利を収めた3位決定戦韓国ストレート破り日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得立役者となった中心選手として全試合フル出場し、北京オリンピック引き続き日本人ベストスコアラーとなった全体でもベストスコアラー部門3位ランクインし、ベストスパイカー12位、ベストレシーバー12位、ベストディガー部門で8位だった。

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