条項の提案と議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 18:37 UTC 版)
「ウィルモット条項」の記事における「条項の提案と議論」の解説
1846年8月8日土曜日、ポーク大統領は、米墨戦争の最終解決のためにメキシコと交渉する予算として200万ドルを議会に要求した。この要求は、議会での議論無しにポークが法案の承認を取ろうとして失敗した後で、公の警告無しに出てきていた。議会はその後の月曜日に休会に入ることになっており、民主党指導層は即座に特別の夜間会議で法案を審議するよう手配した。審議は2時間に限定され、誰もが1回10分間以上の演説を停められた。 ペンシルベニア州選出の民主党下院議員デイビッド・ウィルモット、およびバーンバーナー派民主党員としてニューヨーク州選出のプレストン・キング、メイン州選出のハンニバル・ハムリン、コネチカット州選出のギデオン・ウェルズとオハイオ州選出のジェイコブ・ブリンカーホッフの集団が8月初めに戦略会議を開いていた。ウィルモットはポーク政権を強く支持してきた経歴があり、多くの南部出身議員にも密接だった。ウィルモットが下院議場で発言するために何の障害も無かった可能性があり、その名前を冠した予算法案修正案を提出するものに選ばれた。ウィルモットは1787年北西部条例をモデルにした言葉遣いで次の提案を行った。 メキシコ共和国とアメリカ合衆国の間で交渉されると思われる条約に基づき、アメリカ合衆国がメキシコから領土を獲得することに対する明白で基本的な条件として、行政府がここに予算化する金に加えて、前述の領土内の如何なる場所でも奴隷制あるいは自発的でない隷従は、正当に有罪を宣告された犯罪者を除いて存在させない、としては如何かと考える。 インディアナ州選出の民主党議員ウィリアム・W・ウィックは、ミズーリ妥協で決めた奴隷州と自由州の境界である北緯36度30分の線を単純に西の太平洋まで延ばすという修正案を提案することで、全体的な奴隷制の制限を外そうとした。この提案は89対54の評決で否決された。次にウィルモット条項を予算法案に付け加えることについて票決が行われ、83対64で認められた。南部議員が土壇場で提案した全法案を棚上げする動議は94対78で否決された。法案全体が85対80の僅差で可決された。最も不気味だったのは、これらの票決がすべて党の拘束によらず、圧倒的に派閥の思惑で進んだということだった。 上院では月曜日の会議でこの法案を審議した。民主党員は上院がウィルモット条項を拒否し、奴隷制限の無い法案を直ぐに承認して下院に送り返すことを期待していた。ホイッグ党でマサチューセッツ州選出のジョン・デイビスは、法案を下院に送り返すには遅すぎるようになるまで議事を長引かせることで、民主党の期待の通りにならないようにし、上院がウィルモット条項付きのままで予算案を認めるか拒絶するかどちらかにさせようと図った。しかし、デイビスが投票を宣言する前に下院と上院の公式時計が8分か違っていたために、下院が休会を宣言し、議会は公式に会期ではなくなった。 その年の末にポーク大統領が議会に対する年間教書で、金額を300万ドルに上げて再度その要求をしたときに、またこの問題が表面に浮上した。ポークは戦争の当初の意図が領土の獲得ではなかったのであり(反対者からは激しく異議の出た見解)、栄誉有る和平のためにはアメリカが新領土に対する補償をする必要があると説いた。当時300万ドル法案と呼ばれたものは1847年2月8日から2月15日まで下院の単一議事事項となった。プレストン・キングが再度ウィルモット条項を提案したが、このときは奴隷制の除外が単なるメキシコ領を越えて拡がり「今後獲得されるアメリカ大陸の領土全て」を含むものになっていた。この時もイリノイ州選出の下院議員スティーブン・ダグラスがミズーリ協定の線を太平洋まで延ばす提案をしたが、再び109対82の票決で否決された。ウィルモット条項付き300万ドル法案は下院で115対106で可決された。上院では民主党のトマス・ハート・ベントンの指導により、ウィルモット条項無しの法案が可決された。法案が下院に差し戻されたとき、上院の可決した法案が有効となった。北部のホイッグ党員は依然としてウィルモット条項を支持していたが、北部の22人の民主党員が南部側に付いた。 1848年、米墨戦争を終わらせるグアダルーペ・イダルゴ条約が上院での承認を求めて提出された。このときは上院議員になっていたダグラスが南部側に付いた者達の中におり、ウィルモット条項を条約に付加しようという試みを破った。前年の下院における議論で、ダグラスは領土内における奴隷制の議論は全て早計であり、議会が実際にその領土を組織化した時が問題を論じるときだと主張していた。民主党のルイス・カスはテネシー州のA・O・P・ニコルソンに宛てた下記のような有名な手紙の中で、ウィルモット条項に対する民主党本流の代案として発展することになる人民主権という概念をさらに定義した。 これは人民に任せよう。人民は彼等自身の責任で、また彼等自身のやり方で適合するためにこの問題に影響されるようになる。我々は政府の当初の原則にもう一つの賛辞を与えるのであり、その永続性と繁栄のためにそれを備えるのである。
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