最後の主要作品群とは? わかりやすく解説

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最後の主要作品群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:48 UTC 版)

エドワード・エルガー」の記事における「最後の主要作品群」の解説

1911年6月ジョージ5世戴冠に伴う祝典一環としてエルガーメリット勲章授けられた。これは同時に24人までしか保持できない栄誉ある勲章である。翌年ロンドンへ戻ってきたエルガー一家リチャード・ノーマン・ショウデザインによるハムステッド、ネザーホール・ガーデンズ(Netherhall Gardens)の大きな邸宅に住むようになった。ここで戦前期最後となる2つ主要作品合唱頌歌ミュージック・メイカーズ』(1912年バーミンガム音楽祭のため)、交響習作フォルスタッフ』(1913年リーズ音楽祭のため)が書き上げられた。両曲とも慇懃な評価受けたが、そこに熱狂見出すことは出来なかった。『フォルスタッフ』の被献呈者である指揮者ランドン・ロナルドですら、内輪には自らが「曲を理解できない告白していた。一方音楽学者のパーシー・シュールズ(Percy Scholes)は『フォルスタッフに関して、「偉大な作品」であるが「大衆評価による限り相対的に失敗作である」と記した第一次世界大戦勃発すると、大虐殺予感恐れ慄いていたエルガー心の内には愛国的な感情湧きあがっていた。彼は『兵士寄せる歌 A Song for Soldiers』を作曲したが、これは後になってまいこんでしまう。彼は地元警察の特別巡査として署名しその後陸軍のハンプステッド・ボランティア予備隊に加わっている。こうした中で生まれた愛国的作品群の『カリヨン』は語り手による朗読管弦楽によるベルギーを讃えた作品、『ポローニア』はポーランド讃える管弦楽曲である。『希望と栄光の国』は既に人気であったが、さらにその勢い高まり見せていた。エルガー愛国的感情を少くした歌詞を曲に合わせて歌えるよう新たに付けたい考えていたが、この案は日の目を見なかった。 戦時期にエルガー作曲したその他の作品児童演劇への付随音楽スターライト・エクスプレス』(1915年)、バレエ音楽真紅の扇』(1917年)、そしてローレンス・ビニョンの詩「フォー・ザ・フォーレン」による『イングランド精神』(1915年-1917年)であり、これは彼のそれまでロマン的な愛国的性格とは質を異にする3つの合唱音楽である。戦中最後の大規模作品ラドヤード・キップリング韻文作曲した『The Fringes of the Fleet』である。曲は国中大きな人気博したが、やがてキップリング理由明らかにしないまま劇場での同曲の演奏異を唱えるようになったエルガーは自ら指揮棒執りグラモフォン社(Gramophone)にこの作品録音を遺している。 大戦終結へ向かう頃、エルガーは健康を損ねていた。彼の妻は郊外移り住むことが夫にとって最善の策であると考え画家のレックス・ヴィキャット・コール(英語版)からウェスト・サセックスのフィトルワース(英語版近くにある屋敷、「ブリンクウェルズ Brinkwells」を借り受けた。ここに1918年から1919年まで滞在して健康を回復させたエルガーは、4つ大規模作品書き上げる。その最初の3作品室内楽曲ヴァイオリンソナタ ホ短調ピアノ五重奏曲 イ短調弦楽四重奏曲 ホ短調である。作品制作途上で、アリス日記にこう書き記している。「E. 素敵な新し音楽書いている。」これら3作品の評判上々であったタイムズ紙次のような論評掲載した。「エルガーソナタ他の楽曲形式で我々が耳にしたことのあるものを多分に含んでいるが、我々は彼に変わって欲しいとも他の誰かになって欲しいとも全く考えていないのだから、それはあるべき姿のである。」四重奏曲五重奏曲1919年5月21日ウィグモア・ホール初演迎えている。マンチェスター・ガーディアン紙は次のように評した。「この四重奏曲途方もないクライマックス舞踏リズム興味深い洗練完璧な対称性備えており、五重奏曲はより抒情的かつ情熱的で、両曲ともそうした形式による偉大なオラトリオにも引けを取ることのない理想的な室内楽曲見本である。」 チェロ協奏曲より第4楽章 アレグロ 演奏:Skidmore College Orchestra. Courtesy of Musopen この音声映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声動画の再生ご覧ください対して、残る1曲であるチェロ協奏曲 ホ短調初演1919年10月ロンドン交響楽団1919年-1920年シーズン開幕コンサート飾ったが、惨憺たる結果終わった演奏会においてエルガー作品のみ作曲者自身指揮棒握りそれ以外楽曲アルバート・コーツ指揮行った。彼はリハーサル時間超過してエルガー持ち時間使い込んだエルガー夫人はこう記している。「あの冷酷自己中心的マナーの悪いがさつ者(中略)あの冷酷なコーツリハーサルをし続けていた。」オブザーバー紙のアーネスト・ニューマン次のように書いた。「不適切リハーサル1週間に関する噂が囁かれている。どう説明をしたとしても、かつてあれほど立派なオーケストラがこうも嘆かわしい姿を見せることなど十中八九なかっただろう、という哀れな現実が残る。(中略作品自体愛らしい素材から成り、非常に簡素であるが - その含蓄に富む簡潔さはこの2年エルガー音楽現れてきたものである - その簡素さの下には深遠な知恵と美が隠されている」エルガー初演ソリスト務めたフェリックス・サルモンドを責めることはせず、サルモンドは彼のために後日もう一度演奏行った。約1年余り100回の演奏恵まれた第1交響曲とは対照的にチェロ協奏曲その後1年以上わたってロンドン再演されることはなかった。

※この「最後の主要作品群」の解説は、「エドワード・エルガー」の解説の一部です。
「最後の主要作品群」を含む「エドワード・エルガー」の記事については、「エドワード・エルガー」の概要を参照ください。

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