最後の事件:キャプランとシュミット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 02:44 UTC 版)
「ロサンゼルス・タイムズ爆破事件」の記事における「最後の事件:キャプランとシュミット」の解説
インディアナポリスの複数の公判の後では、残る事件は、デイヴィッド・キャプラン及びマシュー・シュミットのそれであったし、この2人のアナキストは、ジムがロサンゼルス爆破事件で使用するダイナマイトを買うのを助けていた。両者ともに、1911年に、起訴されたが、逃亡者となり、警察から巧みに逃れた。 1914年7月4日(土曜日)に、ダイナマイト爆弾が、3人の建築家が住むニューヨークのテナント・アパートメントで爆発した。爆発で男3人が死亡し、ビルが破壊され、隣のアパートメントの女が死亡し、他に多くの負傷者が出た。警察は、爆弾は翌日タリータウン(Tarrytown)で使用される予定の爆弾であった、と推理したが、タリータウンでは、死んだ爆弾犯の1人を含む多くのアナキストがロックフェラーの夏の地所の侵入未遂と結びつく犯罪に直面することになっていた。この事件は、アイアン・ワーカーズ爆破事件と無関係であるようにおもわれたが、ウィリアム・J・バーンズ(William J. Burns)は、爆弾の破片からロサンゼルスロサンゼルス・タイムズ爆弾と同様の構造が明らかになったことを知った。 爆弾の類似性にもとづいて、バーンズは、ニュー・ヨークのアナキスト圏に捜索を集中した。彼は、マシュー・シュミットを見つけだし、ニュー・ヨークの警察官が1915年2月13日(土曜日)にシュミットを逮捕したとき、現場にいた。バーンズの手先らは、キャプランをも逮捕したいと願いつつシュミットをしばらく監視していたが、最後にはシュミットだけで我慢した。しかしシュミットの持ち物の捜索で或る手紙が見つかったために、彼らはシアトル地区に向かい、同地で、1915年2月18日(木曜日)に地元警察がデイヴィッド・キャプランを逮捕した。 サンフランシスコ労働組合の指導者オラフ・トヴェートモーは、前年、釈放されていたが、この2人の男は複数のウェスト・コースト労働組合(West Coast labor unions)の費用で弁護されるだろうと約束した。カーペンターズ・ユニオン(Carpenters Union)の公式機関刊行物「ザ・カーペンター」(The Carpenter)は、キャプラン及びシュミットの訴追の責任を「労働の敵」("the enemies of labor")に負わした。 シュミットおよびキャプランはロサンゼルスでべつべつに公判に付された。マシュー・シュミットは、1915年12月に謀殺で有罪判決をくだされ、終身刑を言い渡された。彼の有罪判決をうけて、オラフ・トヴェートモーは、次のように言った:「ロサンゼルスで10年戦争が起こるだろう。やつらはこのことの報いを受けるだろう」 デイヴィッド・キャプランの1つめの公判は、陪審が行き詰まって終わった。1916年12月に、2つめの陪審は、第二級故殺罪で有罪の評決を下した。法廷は、彼に10年の実刑を言い渡した。彼は6年半の後1923年に釈放された。
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