旧新潟税関庁舎(新潟県)
旧新潟税関庁舎
名称: | 旧新潟税関庁舎 |
ふりがな: | きゅうにいがたぜいかんちょうしゃ |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1745 |
種別1: | 近代/官公庁舎 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1969.06.20(昭和44.06.20) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 新潟県 |
都道府県: | 新潟県新潟市中央区緑町3437 |
所有者名: | 国(文部科学省) |
指定基準: | |
管理団体名: | 新潟市 |
管理団体住所: | 新潟県新潟市中央区学校町通1番町602-1 |
管理団体指定年月日: | 1970.01.19(昭和45.01.19) |
構造形式: | 木造、建築面積390.1m2、一階建、桟瓦葺、中央部塔屋付、銅板葺 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治2(1869) |
解説文: | 木造平屋建の税関庁舎。外壁をなまこ壁とし中央に二重の塔屋を持つ。引違の窓には両開きの鎧戸を設け、中央の入り口はアーチ状になっている。擬洋風建築の初期の例として、また最古の税関庁舎として貴重である。 |
近代(官公庁舎): | 旧伊達郡役所 旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎 旧山梨県東山梨郡役所 旧新潟税関庁舎 旧札幌電話交換局舎 旧群馬県衛生所 旧西田川郡役所 |
旧新潟税関庁舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:47 UTC 版)
開港五港の中で唯一現存する、開港当時の運上所(税関)の遺構。いわゆる擬洋風建築の一例で、赤瓦葺きの屋根とナマコ壁の外観にアーチ状の玄関口と塔屋などの洋風の意匠を取り入れている。開館日であれば無料で見学できる。 戊辰戦争終結後の1869年(明治2年)10月に「新潟運上所」として開所。1872年(明治5年)11月28日、全国の運上所が「税関」と呼称統一されたのに伴って「新潟税関」に改称した。新潟税関は全国の税関統廃合に伴って1902年(明治35年)11月5日付で廃止され、新潟港は横浜税関の管轄下となり、庁舎はその支署となった。さらに1953年(昭和28年)8月1日、横浜税関から東京税関が分離独立し、新潟税関支署は東京税関へ移管した。庁舎は翌1954年(昭和29年)2月10日付で、新潟県の文化財に指定された。 しかし新潟税関支署は敷地・庁舎とも年々手狭となり、運上所の開所以来、保税倉庫として使用していた石庫の老朽化が著しくなったため1963年(昭和38年)に解体され、石材などの構造物は将来の復元を前提に保管された。1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震では、税関支署周辺は液状化現象による地盤沈降と津波により浸水し、庁舎の建物が傾斜するなど甚大な被害を受けた。新潟税関支署は1966年(昭和41年)5月1日、対岸の竜が島地内の中央埠頭前に建設された新庁舎へ移転し、旧庁舎は97年間の役目を終えた。 だが庁舎移転当時、開港時の運上所の建造物が遺存している例は他に無かったことから、旧庁舎はその歴史的価値を評価され、新潟港の開港100周年を機に1969年6月20日付で「旧新潟税関庁舎」として国の重要文化財に、遺構を含む敷地は「旧新潟税関」として国の史跡にそれぞれ指定され、1970年(昭和45年)1月19日付で新潟市を管理団体とする旨が公示された。旧庁舎は同年から2年間を掛けた解体修復工事によって復原され、前述の通り1972年から2003年までの間は、当館前身の新潟市郷土資料館の本館として使用された。なお前述の重文・史跡指定の際、石庫跡地については土地問題が残存していたため指定が見送られたが、1979年(昭和54年)に解決したのを受けて石庫の復元が決まり、同年12月に史跡として追加指定された。石庫の復元工事は1年半掛かりで行われ、1982年10月8日に竣工。更にみなとぴあの建設に合わせ、開港当時の荷揚げ場が復元された。荷揚げ場には河岸に沿って石段が設けられていたが、昭和時代初期の信濃川両岸の埋め立てや、1960年代に新潟市内で著しく進行した地盤沈下、さらには新潟地震によって埋没してしまったため、新潟市では1996年(平成8年)から発掘調査を実施した上、資料等を元にして工事を行い、運上所開所当時の位置に復元された。なお開所当時には石庫と並んで土蔵も所在していたが、今日においては遺存していない。
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