旧伊達郡役所
名称: | 旧伊達郡役所 |
ふりがな: | きゅうだてぐんやくしょ |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2028 |
種別1: | 近代/官公庁舎 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1977.06.27(昭和52.06.27) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 福島県 |
都道府県: | 福島県伊達郡桑折町字陣屋12 |
所有者名: | 桑折町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 木造、建築面積376.2m2、二階建、一部一階、玄関及び中央部塔屋付、 桟瓦葺 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治16(1883) |
解説文: | 木造、一部二階建、郡役所で遺存している建物のうちでは最大規模を持つ。擬洋風になるもので、質がよく改変も少なく、明治初期の建築の特徴をよく示している。 ことに東北地方に残るものとしては優品である。 |
近代(官公庁舎): | 旧下関英国領事館 旧京都中央電話局西陣分局舎 旧伊勢郵便局舎 旧伊達郡役所 旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎 旧山梨県東山梨郡役所 旧新潟税関庁舎 |
旧伊達郡役所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 13:33 UTC 版)
旧伊達郡役所 | |
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正面外観
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情報 | |
設計者 | 山内幸之助・銀作[1] |
施工 | 山内幸之助・銀作[1] |
構造形式 | 木造、二階建、一部一階、玄関及び中央部塔屋付、桟瓦葺[2] |
建築面積 | 376.2 m² [2] |
竣工 | 1883年[1][2] |
所在地 | 福島県伊達郡桑折町陣屋12[3][2] |
座標 | 北緯37度50分36.4秒 東経140度31分7.7秒 / 北緯37.843444度 東経140.518806度座標: 北緯37度50分36.4秒 東経140度31分7.7秒 / 北緯37.843444度 東経140.518806度 |
文化財 | 国の重要文化財[3][2] |
指定・登録等日 | 1977年6月27日[3][2] |
旧伊達郡役所(きゅうだてぐんやくしょ)は、福島県伊達郡桑折町に残る明治時代初期の洋風庁舎である。
沿革
伊達郡の郡役所は1879年に保原町に設置されたが、桑折町の有志が誘致運動を行ったことにより1883年(明治16年)4月に桑折町に移された[3]。その際に新築された庁舎が、現在も残る旧伊達郡役所の建物である[1]。廃止になるまでの約43年間、郡行政の中心的役割を果たし、廃止後も県の出先機関として利用されていたが、1974年3月にその役目を終えた[1]。
1977年(昭和52年)6月27日に、国の重要文化財に指定される[3]。塔屋は振動のため1887年に撤去されていたが、1979年の工事で当初の形に復元された[3]。
東日本大震災で被害を受けたが、耐震補強を含めた修復工事を行い[1]2014年4月1日に再オープンした[3]。
2021年(令和3年)2月の地震で建物の壁にひびが入るなどの被害を受け敷地内を全面閉鎖[4]。2022年(令和4年)3月から復旧作業が始まる予定だったが、同月に再び地震が発生して建物の壁が剥がれ落ちるなどの被害を受けた[4]。その翌月から災害復旧保存修理工事が進められ、同年12月に復旧する見通しとなった[4]。
建築概要
地元大工の山内幸之助・銀作の手による[1]、擬洋風建築である[3][2]。郡役所で遺存している建物のうちでは最大規模を持つ[2]。質がよく改変も少ないことから、明治初期の建築の特徴をよく示している[2]。
基礎は切石を積み、北海道及び東北地方の重要建造物と同様に、ベランダを張り出したペンキ塗下見板壁になっている。正面は総二階建、中央塔屋を設け、軒は化粧垂木様飾りに円形刳り蛇腹、窓はすべてガラス入りの上げ下げ窓と洋風を模している。[3]
出典
参考文献
- 桑折町生涯学習課 (2011年6月1日). “旧伊達郡役所”. 桑折町観光ガイド. 2014年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月3日閲覧。
- 福島民友新聞 (2012年11月6日). “福島遺産百選 旧伊達郡役所”. みんゆうNet. 2013年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月3日閲覧。
- 文化庁. “旧伊達郡役所”. 文化遺産オンライン. 2015年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月3日閲覧。
関連項目
固有名詞の分類
- 旧伊達郡役所のページへのリンク