旧伊庭家住宅(住友活機園)
名称: | 旧伊庭家住宅(住友活機園) |
ふりがな: | きゅういばけじゅうたく(すみともかっきえん) |
名称(棟): | 洋館 |
名称(ふりがな): | ようかん |
番号: | 2409 |
種別1: | 近代/住居 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2002.05.23(平成14.05.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
都道府県: | 滋賀県大津市田辺町10-14 |
所有者名: | |
指定基準: | (一)意匠的に優秀なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 木造、建築面積110.00m2、二階建、桟瓦葺 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治37(1904) |
解説文: | 旧伊庭家住宅は,瀬田川右岸の琵琶湖を見下ろす丘にあり,住友本店の総理事を務めた伊庭貞剛が明治37年の引退後,活機園と称して居住した住宅である。 洋館,和館,東蔵,西蔵,正門は明治37年建築,新座敷は大正11年増築である。 洋館は野口孫市の設計で,明快な平面構成をもち,全体が質実かつ完成度の高い意匠である。和館は大工棟梁2代目八木甚兵衛の手になり,良材を用いながら装飾を抑制した落ち着いた意匠でまとめられた質の高い和風建築である。 旧伊庭家住宅は,それぞれ野口孫市と八木甚兵衛の代表作の一つである洋館と和館が残り,明治後期の邸宅の姿を今に伝える希有な例として重要である。 主要な建物の建つ部分は敷地のほぼ全体が旧状のまま残るのも貴重で,宅地及びの山林を含め,一括して保存を図る。 |
旧伊庭家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 02:50 UTC 版)
旧伊庭家住宅 (安土町郷土館) | |
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![]() 外観 | |
所在地 | |
位置 | 北緯35度8分18.65秒 東経136度8分10.67秒 / 北緯35.1385139度 東経136.1362972度座標: 北緯35度8分18.65秒 東経136度8分10.67秒 / 北緯35.1385139度 東経136.1362972度 |
類型 | 邸宅 |
形式・構造 | 和洋式木造住宅、地上3階建 |
延床面積 | 352.36m2 |
建築年 | 大正2年(1913年) |
文化財 | 市文化財 |
旧伊庭家住宅(きゅういばけじゅうたく)は滋賀県近江八幡市安土町小中にある、安土町文化財建造物第1号として指定を受けた歴史的建造物。
大正2年(1913年)に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により[1]、旧住友財閥の二代目総理事伊庭貞剛の四男伊庭慎吉(画家、神職、安土村長)の邸宅として建設された和洋式木造住宅。伊庭慎吉アトリエ、伊庭家住宅または伊庭邸などと呼ばれる。伊庭家の住宅として使用された後、1978年に土地建物が安土町の所有となり、建物については老朽化のため取り壊される予定であったがヴォーリズ初期の作品で文化的価値の高いものであることが判明したため、1979年に町指定文化財として保存処置が講じられることになった[1]。なお、その際の修繕は個人の寄付金で行われた。
現在は安土町郷土館として活用、一般公開されている。
建築概要
外観の特徴となっている上部のハーフティンバーや煙突など洋風色が目立つが、外部内部ともに1階が和風を基調とした造りで、2階が洋風を基調とした造りである。
- 設計 - ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(ヴォーリズ合名会社)[1]
- 竣工 - 1913年[1](1979年修復)
- 建築主 - 伊庭貞剛(住友二代目総理事歴任)
- 居住者 - 伊庭慎吉(伊庭貞剛四男・安土村村長)
- 構造 - 木造、地上3階建[1]
- 延床面積 - 352.36m2(1階214.02m2、2階109.55m2、3階28.79m2)
- 所在地 - 滋賀県近江八幡市安土町小中字在所前193番地
交通アクセス
周辺情報
- 沙沙貴神社 - 伊庭慎吉が神主を勤めた
脚注
外部リンク
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