旧内田家住宅とは? わかりやすく解説

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旧内田家住宅(旧所在 東京都渋谷区南平台町)


外交官の家

(旧内田家住宅 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 14:08 UTC 版)

外交官の家
情報
旧名称 内田家住宅
用途 住宅
設計者 ジェームズ・ガーディナー
建築主 内田定槌
構造形式 木造
建築面積 192.9 m²
階数 塔屋付き地上2階建
竣工 1910年(明治43年)
所在地 231-0862
神奈川県横浜市中区山手町16番
座標 北緯35度26分11.854秒 東経139度38分36.272秒 / 北緯35.43662611度 東経139.64340889度 / 35.43662611; 139.64340889 (外交官の家)座標: 北緯35度26分11.854秒 東経139度38分36.272秒 / 北緯35.43662611度 東経139.64340889度 / 35.43662611; 139.64340889 (外交官の家)
文化財 国の重要文化財
「旧内田家住宅」
指定・登録等日 1997年(平成9年)5月29日指定
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外交官の家(がいこうかんのいえ)、または旧内田家住宅(きゅううちだけじゅうたく)は、1910年明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館明治大正時代外交官内田定槌の住宅として東京都渋谷区に建てられたが、現在は神奈川県横浜市中区山手町に所在する。「旧内田家住宅」の名称で1997年(平成9年)に重要文化財に指定されている[1]

概要

明治政府外交官であった内田定槌の邸宅として、1910年(明治43年)にアメリカ人建築家ジェームズ・ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台町に建てられた。

1997年(平成9年)に、内田定槌の孫の宮入久子から横浜市に寄贈され、神奈川県横浜市中区山手イタリア山庭園に移築復元のうえ一般公開された。同年、国の重要文化財に指定[1]

建物

1階は食堂と客間、2階は寝室書斎が再現され、展示室にはガーディナーの建築作品や、当時の外交官の暮らしに関する資料が展示されている。附属棟には喫茶コーナーが設けられている。

脚注

  1. ^ a b 文化庁. “旧内田家住宅(旧所在 東京都渋谷区南平台町)”. 文化遺産オンライン. 2024年4月15日閲覧。

関連項目

外部リンク



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