新座敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:42 UTC 版)
「近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」」の記事における「新座敷」の解説
大正末期から昭和初期には接客の場である新座敷が増築され、新座敷には数寄屋風書院造の和室、重厚な洋間、ステンドグラスがあしらわれた浴室などがある。新座敷の増築は、1919年(大正8年)に主屋の北隣にあった西大路曳山倉が現在地に移築されたのに伴い、跡地が山中正吉家の所有となったことによる。3代目正吉によってまず洋間が建築され、次いで新座敷を建築された。 新座敷には1926年(大正15年)3月の棟札が残り、和室は主屋・次の間・六畳の間などからなる。西面が入母屋造、東面が寄棟造の瓦葺の建物で、内装は良質な材木を用いた格式高い数寄屋風書院造の趣を備えたなかに、欄間やドアノブにガラスを用い、外壁北面をモルタル噴きつけ仕上げ(通称:ドイツ壁)とするなど、洋風の要素も採り入れられた。洋間は、屋外から直接出入りできる専用の玄関ポーチを備え、建築当時にはアーチも付設されていた。扉にステンドグラス、室内に煙突のないマントルピース、燭台を模した照明器具など、西洋の装飾を凝らした。 新座敷の新築にあわせて昭和初期に整備された庭が、建物の東西にあり、長浜の造園業者・住吉園により作庭された。新座敷と浴室に面した東側の庭は、建仁寺壁で囲ったなかに庭石や十三重塔や複数の石燈などを配置し、洋間に面した西側の庭は、石燈籠と銀閣寺型の手水鉢を置く。石燈籠のいくつかは、大津の名石工とよばれた西村嘉兵衛の作とみられる。 浴室は建坪4坪で、1933年(昭和8年)に設計された。設計書によれば外観は「純日本式」とされるが、内装は北窓にステンドグラスを用いるなど洋の要素も採り入れられている。 主屋 新座敷 洋間 庭園
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