新座増圧ポンプ所誕生の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 23:56 UTC 版)
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昭和30年代後半の東京では危機的な渇水が毎年続き、水がめである奥多摩湖は干上がり、「しょうがないダム(小河内ダム)」とマスコミから批判されていた。そこで東京都水道局では、1964年(昭和39年)10月10日に開催される東京オリンピックに備えて、原水を渇水続きの多摩川系から利根川系に求めた結果、利根川から東村山浄水場に原水を導水する施設を建設することを決定した。
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