旧新潟競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 12:32 UTC 版)
かつて北口側には新潟競馬場があった。1906年に開場し、週末には多くの人々が越後線を利用して来場していたといわれている。当駅周辺はかつて「競馬町」という通称で呼ばれていた。 しかし信濃川の分水路として関屋分水路が開削されるにあたり、計画ルート上にある住宅等を移転させる必要が生じたため、旧競馬場は1964年に閉鎖され、翌1965年5月から当時の北蒲原郡豊栄町笹山(市制施行を経て現新潟市北区笹山)に移転。跡地は掘削地の代替住宅地として再開発され、周辺には競馬場そのものの痕跡は残っていない。なお、信濃町地内にある関分公園内には「新潟競馬場跡の碑」が建立されている。 この“関屋”の名は、新潟競馬場開催の重賞競走「関屋記念」として遺されている。当駅周辺では、西側(内野寄り)にある「競馬場踏切」などの名称が、この周辺にかつて競馬場があったことを表している。この他、かつては青果店や鮮魚店、精肉店などが集積した「競馬町マーケット」が競馬場踏切北側に所在したが、老朽化等のため2007年6月30日をもって閉鎖となり、2008年2月に撤去された。
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