日本国外店舗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:14 UTC 版)
香港大丸百貨公司1960年11月3日開店。1998年12月31日閉店。 香港 銅鑼湾(コーズウェイベイ)記利佐治街(グレートジョージストリート)と百德新街(パターソンストリート)交差点に立地。売り場面積5,400+5,600m2。 香港商人・張玉良との合弁会社。大丸出資率51%。日本の百貨店のアジア進出1号店で、取り扱い商品の6割が日本製品という中流-高級路線の店だった。開店前は、香港市民に受け入れられるか不安なまま開店を迎えたが、開店初日に10万人の客が詰め掛け、準備した品物の大半が売切れてしまう等、香港市民に支持され大成功を収めた。 香港大丸が開店した頃の店舗周辺は、倉庫が立ち並ぶ場所であったが、大丸開店後は数々のショップが出展してゆき、現在では香港随一の繁華街になった。大丸は地域のランドマークになり、ミニバスの行き先も「銅鑼湾」ではなく「大丸(DAIMARU)」と表示されていた。 1983年には、維多利亞公園(ヴィクトリアパーク)の京士頓街(キングストン)2号店としてスーパー・マーケットを開設。2階建てで1階にスーパーが入り、2階には旭屋書店が入店していた他、様々な商品を取り扱っていた。またこの頃には、大丸の後を追う様に次々と日系百貨店が銅鑼湾地域に出店し、売上を競っていた。 1990年代に入ると、銅鑼湾では家賃高騰が続いた。その為記利佐治街の店舗の存続は断念し、スーパー部門だけを残した。 スーパー部門は引き続き人気があったが、家賃高騰が続いた上に、1997年のアジア通貨危機の影響で香港の景気も低迷して業績も悪化した結果、これ以上の経営は困難と判断され、1998年6月25日に年内閉店を発表した。発表は、香港住民に衝撃を与え、閉店を惜しむ声が数多く寄せられたほか、12月31日の閉店日には、38年の間愛されてきた老舗の撤退に際して、現地テレビ局は特集番組を放送した。 跡地には他のテナントが入居したが、2012年からは、銅鑼湾店舗跡にイオンストアーズ香港が「マックスバリュ・プライム」を出店している。ミニバスの行き先は、現在も「大丸(DAIMARU)」のままであり、今も銅鑼湾に大丸があった事を伝える存在となっている。 建台大丸百貨公司台湾「建台水泥」(チェンタイ・セメント)100%出資会社で、大丸とはノウハウの提供とブランドだけの提携だった。高雄店 - 1999年10月23日開店。2000年閉店。建台水泥が建設した高層ビル「高雄85大楼」の地下1階から地上7階に入居。同ビルは地上85階建(高さ378m)、当時台湾一の高さということで話題になった。しかし、売上は非常に悪く、大丸側は提携契約を破棄、同店は閉店に追い込まれた。2012年、出店していたフロアは裁判所による強制競売に掛けられた。 台中店 - 1999年5月2日開店。2000年に閉店。この物件も建台水泥が設立した「台中晶華酒店」(グランドフォルモサリージェント。ホテル)1-10階に入居。同様に早期に撤退することになった。 タイ大丸 (現地法人:Thai Daimaru Co., Ltd.)1964年 創業。首都バンコックの中心地ラーマ1世通り北側のラーチャダムリに1号店を開店。 1980年 プラカノン支店開店。バンコク・スカイトレインの新駅ができる前提で出店したが、建設が20年遅れ、同地は日本人があまり訪れることない下町エリアだったため、ネイバーフッド型スーパー・マーケットとして運営することになった。 1980年代 タイは高度成長期に入り、1983年の ロビンソン百貨店を皮切りに外資系が続々進出した。日系もアマリンそごう(1984年)、MBK東急百貨店(1985年)ジャスコ・ラチャダー店(1985年)、そして1992年、大丸ラチャダムリ本店向いにはセントラル・ワールドが建設され伊勢丹が進出。1995年までに36の百貨店が開店した。 1997年 アジア通貨危機により、タイの財閥大手が、チェーン店経営から手を引いたため、テスコ(イギリス)、ビッグC(イギリス)、カルフール(フランス)は本国主導に変り、市場構造が激変することになった。大丸はリストラの一環として自社所有株式の25%をタイ地場資本プレミアグループに売却。プラカノン支店を閉店(跡地には高級マンション「ホープランド・エグゼクティブ・レシデンス・スクンビット46」が建設された)。 1998年 ラチャダムリ本店を閉鎖し、郊外移転(旧店跡地にはビッグCが開店)。 シーナカリン通り沿線ショッピングモール「セーリー・センター」にプランタン(フランス)と共に入居。すぐ隣に「シーコンスクエアー」も建設され、こちらにはロビンソンとテスコが入居。結果としてシーコンスクエアーの圧勝。プランタンはすぐに撤退し、大丸も1999年閉店することになった。 同地は、旧店のあった市街地から遠く、従来から利用していた日本人街の住民が日常使用するには不便な場所となっていた。セーリー・センターのデベロッパーも、MBKとサイアム・ピワットに買収され2010年パラダイスパークとなった。現在ここには、日系企業としてはロフト、ダイソー、大戸屋、やよい軒、CoCo壱番屋、8番らーめん、ミスタードーナツ等が出店している。 大丸シンガポール (現地法人:Daimaru Singapore Pte Ltd.)1987年リャンコート店を開店。スーパーマーケットを含む3店舗を展開した。2003年閉店。 シンガポールには日系百貨店が続々進出した。伊勢丹(1972年)、ヤオハン(1974年)、三越(1977年)、名鉄百貨店(1984年)、髙島屋(1995年)、そごう(1986年)、東急百貨店(1987年)、西友(1995年)その中でも後発の大丸には日本の食料品(弁当・惣菜を含む)や書籍が充実しており、日本人ビジネスマンに支持されていたが、MRT路線から外れた不便な場所だったのが敗因。 大丸オーストラリア (現地法人:Daimaru Australia Ltd.)メルボルン店 - 1991年9月11日開店。2002年7月閉店。21,011m2。地下鉄セントラル駅直結。設計:黒川紀章。メルボルン市の都市再開発計画に沿って、クマガイオーストラリア PTY.リミテッドが開発・建設した巨大ショッピングセンターに出店。対象顧客はオーストラリア人で、日本人観光客や駐在員ではなかったため、欧米流のマーチャンダイジングを行い、オーストラリアで一番のサービスを行う店との評価も高かった。 しかし、オーストラリアで消費税が導入されたことにより消費が低迷、郊外型ショッピングセンターの台頭により売上が減少したことに加え、資本金の50%を出資していたクマガイ側が事業から撤退を決めたため会社清算することになった。 「先義後利」という哲学をオーストラリアに持ち込んで実現した大丸の閉店は現地で非常に惜しまれ、閉店セールには開店時以上の人でごった返した。 ゴールド・コースト店 - 1998年9月開店。2002年1月閉店。8,324m2。100%子会社だが「大丸オーストラリア・リテイル」という別会社。仕入れをメルボルン店に依存していたため、本店より先に閉店セールを実施。予想を超える客が殺到したため、予定より1ヶ月早く売りつくし閉店した。 大丸フランス - パリ17区のパレ・デ・コングレ・ド・パリ内に出店。1998年撤退。
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