日本における永楽通宝とは? わかりやすく解説

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日本における永楽通宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 06:48 UTC 版)

永楽通宝」の記事における「日本における永楽通宝」の解説

平安時代から鎌倉時代にかけて日本国内商業物資流通活発化すると共に貨幣必要性高まっていた。しかしながらその時代には律令体制崩壊しており、銭貨鋳造を行う役所技術廃れていた事から、中国から銅銭輸入してそれを国内流通させていた。 その中でも明の永楽帝時期永楽9年1411年)から作られ銅銭永楽通宝永楽銭)は当初は明の国内でも流通していたのだが信用低かった中国では新銭よりも、流通実績のある宋銭開元通宝などが好まれた)ことから15世紀後半には明では次第使用忌避されるようになり、室町時代後期大量に輸入された。この多く日明貿易勘合貿易)や倭寇通じて日本持ち込まれたものである永楽銭という用語は、明代輸入され銅貨一般を差す場合もある。従来からの宋銭数百年の流通により磨耗破損したものが多くなっていたのに対し新たに輸入され永楽銭良質銅銭有ったため、東日本中心に江戸初期まで基本貨幣として使われている一方で西日本では従来通り宋銭鐚銭流通中心であったとされるが、近年になって明朝時代宋銭私鋳していたという記述いくつか発見されそれらの“宋銭”が日本渡ってきた可能性は高いこと、また、後述するように当初明銭撰銭対象であったことが各種法令などから伺えることなどから、永楽銭日本入ってきた当初日本全国で“価値の低い銭”であった可能性が高い。 民間勝手に鋳造した銭貨私鋳銭というが、中国江南地方日本作られ私鋳銭多く流通していた(なお、一般では官鋳銭品質良く私鋳銭品質が悪いと思われがちだが一概にそのように言えるものでもない。官鋳銭にも産地によっては良質な私鋳銭より質の悪いものもあった)。日本でも中国同様に新鋳明銭よりも流通実績のある宋銭の方が価値が高いと見なされ、15世紀後半16世紀半ばまでの畿内においては永楽通宝などの明銭条件付き百枚2030までの混入認める)でしか流通しておらず、そのような宋銭重視政策を特に畿内荘園領主が行ったため畿内では宋銭使い東北九州どの辺境などから次第粗悪な銭(鐚銭ビタ銭)数精銭1文とする慣行成立していくことで撰銭対象であった永楽銭地方流入を招くと共に東国では後北条氏結城氏などが永楽銭基準とした貫高制整備行った。やがて1560年代に明が本格的な倭寇取り締まりなどを行うと中国からの銭の流入途絶えたことにより銭不足に陥り、畿内では1560年代貨幣経済から米経済1570年代に米経済から銀経済への急激な転換が起こる一方関東では何段階かに分かれていたビタ銭の階層収束されていき、京銭渡来銭私鋳銭問わない宋銭)4永楽銭1文という慣行成立していった。 江戸時代に入ると江戸幕府慶長11年1606年)に独自の銅銭慶長通宝鋳造して2年後には永楽銭流通禁止令がだされ、この段階では慶長通宝流通充分でなく、実態永楽銭優位通用禁じ鐚銭並み通用になったとされるが、元和偃武後の寛永13年1636年)には寛永通宝本格的に鋳造し寛文年間以降全国的に流通し始めると、永楽銭はじめとする渡来銭などの旧銭は次第駆逐されていった永楽通宝が主に流通していたのは、伊勢尾張以東東国である。特に関東では、永楽通宝基準通貨位置づけられ、年貢貫高算定永楽通宝基準として行った。これを永高制という。一方西国では宋銭など唐宋時代古銭好まれ16世紀に入るまであまり流通しなかった。ところがこの事実には大きな問題があった。それは明で100年以前鋳造され銅銭16世紀日本の東国で広く使われ経緯不透明な点である。しかも、明との貿易行っていたのは主に西国大名商人であり、日本流入する永楽通宝がまず彼らの手中に入る筈であるのに、なぜ地理的に離れた東国でのみ流通したのかと言う点が十分に説明されてこなかった。このため近年になって黒田明伸16世紀東国用いられ永楽通宝は明で鋳造されたものではなく、そのほとんどが明の永楽通宝精巧に再現して日本の東国地域鋳造され私鋳銭であるという説を提唱した折しも茨城県東海村村松白根遺跡から永楽通宝とその銭が発見されており、科学分析結果日本国産の鋳造され可能性が高い事が判明するなど、今後の研究次第では通説対す大きな見直し迫られる可能性がある。また、川戸貴史は「永楽銭」の言葉があるからと言って必ずしも実物永楽通宝でのやりとり伴ったではなく、特に時代が下るにつれて1570年代以降)、「永楽銭」は実際永楽通宝価値とは異な空位化した基準額(計数単位化)やそれに基づいた一定の基準満たす精銭群(そこには実物永楽通宝含み得る)を指すなどの変化見られ、(実物の)永楽通宝と「永楽銭」「永高」「永」の関係の再検討必要性指摘している。

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