日本における水割りの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 17:03 UTC 版)
日本において「ウイスキーの水割り」という飲み方が普及したのは1970年代である。それ以前の日本におけるウイスキーの一般的な飲み方はストレートかソーダ割(ハイボール、ウイスキー・ソーダ)であった。 当時の日本にはパブやバーの文化も普及しておらず、日本人にとって晩酌と言えば、日本酒かビールであった。これは寿司屋や小料理屋といった飲食店においても同様であった。そのため日本のウイスキーメーカーはかなりの苦戦を強いられていた。 そこで、日本のウイスキーメーカーは和食と調和するよう特有のピート臭を抑え、口当たりをマイルドする水割りという飲み方を考案し、プロモーションを行った。一例として、サントリーは割烹の店主がその日の閉店後に店のカウンターでサントリーオールドを飲むといった写真を使った新聞広告を打つと共に湯豆腐を肴にしてサントリーオールドのお湯割りなどを提案するスタイルブック『懐石サントリー』(淡交社)を出版し、「和食にサントリーオールド」というキャンペーンを展開した。このキャンペーンは大当たりし、1970年代前半には100万ケース前後で推移していたサントリーオールドの売り上げは、1980年には1000万ケースを超える販売記録となった。 上述のように展開された水割りキャンペーンであるが、当時普及していたトリスウイスキーを筆頭に当時の国産ウイスキーは「色つきアルコール」と批判されるほど品質が悪く、それをごまかすための飲み方としてメーカーが普及させたという見方もある。
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