日本における永世中立国化議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:03 UTC 版)
「中立国」の記事における「日本における永世中立国化議論」の解説
第二次世界大戦後の日本においては、日本国憲法第9条に侵略戦争と軍隊・戦力放棄の規定が設けられたこともあり、日本が中立国となるべきであるという主張を述べる論者も、多く現れた。 例えば、1949年(昭和24年)3月のダグラス・マッカーサーが「日本は極東のスイスたるべき」と発言したという報道や、同年3月3日・4月9日付の読売新聞の社説などに見られる。 ところが、中国大陸の共産化と朝鮮戦争の勃発により、保守・右派にとって、永世中立化は非現実・幻想的なものと受け止められるようになった。しかし革新・左派による中立化・永世中立化の主張は、より強くなっていく。 サンフランシスコ講和会議においては、ソビエト社会主義共和国連邦が日本の永世中立化を提案し、その後も1958年(昭和33年)に同様の提案を行っているが、日本国政府はこれを拒否している。
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