既存路線の改良
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愛電は岡崎線(豊橋線)の延伸工事と並行して、既開業区間・路線についても複線化および軌道強化による軸重上限の引き上げ、さらに従来直流600 Vであった架線電圧の直流1,500 Vへの昇圧を順次実施した。 岡崎線については、1925年(大正14年)6月に神宮前 - 東岡崎間の架線電圧を1,500 Vへ昇圧し、以降の開通区間については当初より架線電圧を1,500 V仕様とした。複線化工事は、1924年(大正13年)4月に有松裏 - 矢作橋間、同年10月には有松線として開業した区間に相当する鳴海 - 有松裏間が順次完成した。この段階で、鳴海以東では矢作橋 - 東岡崎間のみ単線で残されたが、同区間についても1926年(大正15年)4月の東岡崎 - 小坂井間開通と同日に複線化工事が完成し、鳴海 - 小坂井間は全線複線区間となった。 その後、神宮前 - 鳴海間の単線区間についても段階的に複線化工事および急曲線区間の改良工事を実施した。1927年(昭和2年)12月に鳴海 - 東笠寺間、1930年(昭和5年)4月に呼続 - 笠寺(現・本笠寺)、同年7月に堀田 - 呼続間の工事がそれぞれ完成し、豊橋線は神宮前 - 堀田間・笠寺 - 東笠寺間の2区間を除いて全線複線化された。 複線区間延伸および急曲線区間改良後の1930年(昭和5年)9月20日に実施されたダイヤ改正においては、神宮前 - 吉田間の特急の所要時分は3分短縮されて60分となり、急行も同区間の所要時分が2分短縮されて70分となった。さらに特急と同一の停車駅設定ながら、特急よりも3分速い57分(表定速度65.7 km/h)で神宮前 - 吉田間を結ぶ超特急「あさひ」が新設された。超特急「あさひ」には当時の愛電における最新型車両であったデハ3300形が充当され、運行時には前頭部に朝日(旭日)と波のイラストが入った長方形の大型ヘッドマークが掲出された。 常滑線については、前述の通り1920年(大正9年)10月より段階的に複線化を推し進めてきたが、1925年(大正14年)6月の柴田 - 名和村(現・名和)間の複線化工事完成をもって、両端区間である神宮前 - 伝馬町間および大野町 - 常滑間を除く全区間が複線化された。架線電圧の1,500 V昇圧は1929年(昭和4年)1月に実施され、愛電の幹線路線は架線電圧1,500 V仕様で統一された。
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既存路線の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:57 UTC 版)
直線区間では、最高速度や加減速性能の高い高性能車両の導入を初めとして、ロングレール化・重軌条化やFFU枕木への交換などが行われる。 曲線区間の占める割合が多い路線では上記に加え、振り子式車両に代表される車体傾斜車両の導入やカントの扛上、抜本的な解決策として特にネックとなる部分の別線付け替えなどを行う。 分岐器の高番数化や両開き弾性分岐器への変更を行うほか、列車交換を行う交換駅・信号場では一線スルー化などを行う。 一般的な意味での高速化とは多少趣が異なるが、ミニ新幹線(後述)や地下鉄への直通のように直通運転を可能とすることによってトータルでの所要時間の短縮が図られることも多い。 一部の国、特に欧米では、線形がよく地盤が強固な在来線においても客車・貨物列車等で160 km/h - 200 km/h程度の高速運転が行われている。 JR北海道では、北斗系統のさらなる高速化を目指してハイブリッド車体傾斜システムの実用化を目指したキハ285系気動車を落成させたが、開発中止により、試験および営業運転を行わずに廃車・スクラップとなった。 列車密度が高い線区では、複々線化による緩急分離を行い、線路当たりの列車密度を下げて速度向上を実現する手法もある。ただしこの方法は、膨大なコストと長期の工事期間、線路増設スペースの確保などの課題がある。 列車性能を高性能な車種に統一することで、比較的性能の低い列車に制約されることなく、高速化を実現できる。 信号保安システムを改良することにより、列車密度を維持しつつ、高速化を行う手法もある。
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