新分析論と口誦詩(オーラル・ポエトリー)研究
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「ホメーロス問題」の記事における「新分析論と口誦詩(オーラル・ポエトリー)研究」の解説
新分析論という概念は、ホメーロス文献学では、ホメーロス以前の詩はモティーフやあらすじの経過や出来事の結合といった点に関してホメーロスに影響を与えているという見方を排除することはないものの、ホメーロスが彼以前の詩を作り変えずに自身の作品に導入したことを前提とはしない、という研究の方向性を示している。分析者たちがホメーロス以前の叙事詩が拙劣な方法で相互に順序付けられて並べられているのを見ていたところで、新分析論の従事者は今や、伝統的な神話学や民話や叙事詩を自身の美的な要求のために受容した一人の詩人の手を見たのである。 新分析論の創始者としてはディートリヒ・ミュラーが該当すると言うことができる。新分析論の意義深い後継者は、『ホメーロス研究』を著したヨハネス・カクリディスである。 いわゆる口誦詩研究とは、主にホメーロス研究の言語的諸相についての調査に力点を置くものである。その発展は19世紀には既に始まっており、ライプツィヒ大学教授のゴットフリート・ヘルマン(1772年〜1848年)と統一論的分析者との論争と平行して進行していた。ヘルマンは1840年に初めて叙事詩の語法が口述のものであることを叙事詩のテクスト構造(これはヴォルフがただ一人理論的に行ったことであり、そこのためにヴォルフは頻繁に批判を受けていた)から導き出した人物であり、エピテタ・オルマンティア("epitheta ormantia"、装飾的形容句を示すギリシア語)が埋めもの効果を持つことを認め、アオイドス(歌い手)たちの即興技術やそれに伴った言語形式について詳述した。 ヘルマンによって打ち立てられた口誦性理論は、アメリカ人ミルマン・パリーの研究で継続された。パリーは口誦詩の概念を初めて用いた人物である。パリーは1928年にフランス語で書いた論文"L'Epithète traditionelle dans Homère"(『ホメーロスの伝統的な形容句』)で、先行する形式研究者を受け継いで、はっきりと韻律(ヘクサメトロス)の強制によって引き起こされるエピテタ・オルマンティア現象について調査した。パリーが前提としたのは、ホメーロスの語法は明らかに後代の詩とは別の法則に従っているに違いないということであり、それ故にヘルマンと同じく詩の形式性に固執したのである。形容句と名前の結合の明確な文体論とその詩句との両面的な関係から、パリーは著書『叙事詩の経済性の法則』を著した。 「ホメーロスの語法に於いては、一人の同一な人物もしくは事物のため、韻律論的・意味論的に異なった複数の形容句-名前結合が用いられていことがあるかもしれないが、(明らかに記憶の負担軽減のため)多くの場合では、一つの特定の詩句には常に一つの形容句-名前結合が使われているに過ぎない。(韻律的には等価であるが意味論的には異なっている任意の語句が使用され得るにも拘らず)」 パリーはさらに、このような技術やかくも豊富な形式のレパートリーが発展するには数世代を要すると主張した。このため、このような叙事詩の語法は当時存在していた伝統に支配されているものであることは明らかである、とも言う。こうして導き出された伝統性から、パリーはその背後にある、期待に満ちた公衆の前に立つ支配者による、口述での即興を強制する圧力の存在を推測した。さらにパリーは、確認材料として、未だ現存しているセルボ・クロアチア語の民衆叙事詩を考察の対象とした。 想像すれば言い得ることであるが、草稿を書き留めることができる詩人と異なって、歌い手は実演の最中に次の語を考えたり言い換えを決めたり既にある詩句にもう一度目を通したりする時間を一切持たない。ある詩句の中で正しい場所に置かれるはずの形式は、発明し難いものである。歌はおのずから生じていくので、歌い手はすべてのフレーズを相互に試してみることはできない。物語を語るため、歌い手は語群の集まりから手持ちの表現を選ぶ(叙事詩的な語法)。そういった表現は他の歌い手のものかもしれないが、彼が覚えておいたものなのである。そのような固定化される以前のすべてのフレーズによって、ある特定の考えが、所定の詩句の長さに適合するように作られた語句を使って表現される。 パリーが言うには、仮に語りの構造を分析することで矛盾や非論理的なものが白日の下に曝されるのであれば、矛盾や非論理は個別の一人の起草者の誤りに帰せられるべきではなく、複数の源泉からの抜粋が不完全に結合されたことによる非リズム性、つまり起草者が複数存在していたことに帰せられるべきである。同時に作品は、伝統的な体系を使用した一人の著者の創作でもあり得る(ここでは新分析論的な思考法が認められる)。 パリーの理論は、弟子のアルバート・B・ロードによって継承された。第二次世界大戦後は、ミルマン・パリーに続いてその理論を継承し立て直す時代になったのである。1980年代にはパリー理論を越えての初めての実際の進捗があった。特に言語科学上の研究によって、叙事詩の言語の伝統はパリーが推測した以上に古く、紀元前16世紀にまで遡るものであることが示された。1987年、エドザード・ヴィッサー(1954年生まれ)は、パリー理論を形容句への限定から救い出し、ヘクサメトロス即興に際しての詩句生成の全過程を追体験することに成功した。パリーが考えたようなテクスト構成要素の結合によっては歌い手はヘクサメトロスを形成せず、すべての新規の詩句で、ヴァリアント(交換可能な要素)によってその都度任意に埋め合わせを行いつつ、決定的な要素を先行して設置することで、ヘクサメトロスを作り出すのだという。さらに歌い手は、まだ残っている詩句の自由部分を自由な埋め合わせによって満たすのである。その際、歌い手は形式構成要素を用いることができるが、形式構成要素がなかったとしても新しい文章を創作することができる。
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