政界入り以降とは? わかりやすく解説

政界入り以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:47 UTC 版)

岸田文雄」の記事における「政界入り以降」の解説

妻の岸田裕子とは見合い結婚報道されるが、実際は父の秘書として企業回りをしていた時に岸田一目惚れし儀礼的に見合いの場が設けられたもの。裕子との初デート広島駅北口広島ターミナルホテル(現ホテルグランヴィア広島地下にあった広島マハラジャであるが、岸田そのこと覚えていなかった。 自民党青年局における台湾との交流では、青年局長であった安倍晋三や、小此木八郎浜田靖一らが揃ってあまり酒を飲まないため、酒に強い台湾の政治家らの歓迎一手引き受けビール紹興酒もマオタイも次々乾杯して文字通り杯を空(乾)にしたという。これらは岸田の「酒豪伝説」として知られている。 2000年11月20日の「加藤の乱」には加藤派若手として血判状したため参加し岸田石原伸晃根本匠塩崎恭久行動を共にし最後まで反乱側に与した岸田加藤を「特別な存在」と尊敬しながらも、加藤野党との関係匂わす発言世論への過信疑問抱いていた。しかし、加藤本会議場へ行かなかったことについては「屈辱ピエロ」となることで自分若手守った解釈しており、実際に乱の鎮圧後岸田には処分が下るどころか経理局長のポストあてがわれた。「加藤の乱」の経験その後岸田大きな影響受けて与え、「政治家として勝負をかけた時は絶対に負け戦をしてはダメだ」という慎重な姿勢原点となった。「乱」の当日自民党からの除名覚悟のうえで、不信任案採決が行われる本会議出席する直前岸田石原根本塩崎とともに4人だけで出陣式行った。その乾杯の酒に選んだのがドライマティーニであった以後毎年同じ時期その4人で『ドライマティーニの会』を開催し最初一杯は必ずドライマティーニであるという。 2004年4月4日広島市南区比治山陸軍墓地にて、岸田会長務め広島比治山陸軍墓地奉賛会主催合同追悼式が行われた。戦没者遺族関係者ら約270人が参列し岸田は「苦難立ち向かった人の記憶語り継がなければならない」とあいさつした黙祷の後、遺族祭壇献花した2007年内閣府特命担当大臣初入閣時、「岸田大臣室の心得」として定めた五箇条に、早稲田大学校歌歌われる進取精神」という一箇条がある。第2次安倍内閣外務大臣担当していた頃の話では、年一回早大議員同窓会国会稲門会」には参加していない。 もともと口下手だが、父の選挙応援の頃から演説鍛えられ街頭演説は得意としている。自民党政治家街頭演説力を入れ始める前から、岸田街頭演説に熱心であった選挙と関係なく地元広島街頭で演説するということ新人の頃から続けているが、外務大臣になる頃には人が集まり過ぎて迷惑となるので控え始めた。しかし自民党大逆風吹き荒れた2009年第45回衆議院議員総選挙では邪険にされ、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島前で演説をしたところ、「自民党ボケ何しにたんじゃ、ワレッ!」「自民党議員ファンだなんて縁起が悪いんじゃ」などと罵倒された。この大逆風下では、父の代からの後援者さえも、岸田支持する自民党支持しない冷たく宣言した並み居る各国外相中でも酒豪として轟くロシアラブロフ外相2013年11月来日した際には、夕食会広島地酒相手の杯につぎ、3時間にわたって酒量競い合った。のちにラブロフから豪華な装飾本を贈られたが、表紙開けると中にはウォッカの瓶が入っていたという。岸田外相時代ラブロフ日露両国歴史上主張お互い譲れない一線があるが「未来」に向けた妥協点探そうと言い続け次第ラブロフ表情から厳しさ和らいだという。同様に中国外相王毅にも「未来」に向けた妥協点探そうと言い続けた。ある時、岸田王毅2人だけで話し合うことになり、王毅中国人の前では決し使わない日本語流暢に使って岸田語り掛けたという。 2020年自民党総裁選立候補表明した日の未明エプロン姿の妻が立つ傍ら食事をとる自身写真と共に、「夜のテレビ出演合間に、地元から上京してきてくれた妻が食事作ってくれましたありがたいです」と投稿した仏紙ル・モンドは、「1年前の自民党総裁選では、『普通の日本人』を装うために、台所用のエプロンをつけて彼に食事提供している妻の写真ツイッター投稿するなど、コミュニケーション作戦のつもりが大失敗終わった」と批判している。 特技は「人の話をしっかり聞くこと」と総裁就任会見の場で語っている。政治家の道を歩んで以降、「岸田ノート」と呼ばれる大学ノート持ち歩いて国民から聞いたことや愚痴批評など書き纏めた上で読み返しており、年間で3冊分、10年間で30近くになっている。「岸田ノート」について、2021年8月26日会見では「聞く力の原点であり、私にとって大切な財産」と紹介している。内閣総理大臣就任後は、環状座り国民から直接意見を聞く車座対話」を積極的に開催し、全閣僚に実施するように呼びかけている。 マスク着用緩和すべきでないという考え示しながら、海外首脳会談する際にはマスク着けていない事から、Twitterでは「#自分だけノーマスク岸田」というハッシュタグトレンド入りした。

※この「政界入り以降」の解説は、「岸田文雄」の解説の一部です。
「政界入り以降」を含む「岸田文雄」の記事については、「岸田文雄」の概要を参照ください。

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