政界入り以降
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妻の岸田裕子とは見合い結婚と報道されるが、実際は父の秘書として企業回りをしていた時に岸田が一目惚れし、儀礼的に見合いの場が設けられたもの。裕子との初デートは広島駅北口の広島ターミナルホテル(現ホテルグランヴィア広島)地下にあった広島マハラジャであるが、岸田はそのことを覚えていなかった。 自民党青年局における台湾との交流では、青年局長であった安倍晋三や、小此木八郎、浜田靖一らが揃ってあまり酒を飲まないため、酒に強い台湾の政治家らの歓迎を一手に引き受け、ビールも紹興酒もマオタイも次々に乾杯して文字通り杯を空(乾)にしたという。これらは岸田の「酒豪伝説」として知られている。 2000年11月20日の「加藤の乱」には加藤派の若手として血判状をしたためて参加し、岸田は石原伸晃、根本匠、塩崎恭久と行動を共にし最後まで反乱側に与した。岸田は加藤を「特別な存在」と尊敬しながらも、加藤の野党との関係を匂わす発言や世論への過信に疑問を抱いていた。しかし、加藤が本会議場へ行かなかったことについては「屈辱のピエロ」となることで自分達若手を守ったと解釈しており、実際に乱の鎮圧後、岸田には処分が下るどころか党経理局長のポストをあてがわれた。「加藤の乱」の経験はその後の岸田に大きな影響を受けて与え、「政治家として勝負をかけた時は絶対に負け戦をしてはダメだ」という慎重な姿勢の原点となった。「乱」の当日、自民党からの除名も覚悟のうえで、不信任案の採決が行われる本会議へ出席する直前、岸田は石原、根本、塩崎とともに4人だけで出陣式を行った。その乾杯の酒に選んだのがドライマティーニであった。以後、毎年同じ時期にその4人で『ドライマティーニの会』を開催し、最初の一杯は必ずドライマティーニであるという。 2004年4月4日、広島市南区の比治山陸軍墓地にて、岸田が会長を務める広島比治山陸軍墓地奉賛会の主催で合同追悼式が行われた。戦没者の遺族や関係者ら約270人が参列し、岸田は「苦難に立ち向かった人の記憶を語り継がなければならない」とあいさつした。黙祷の後、遺族が祭壇に献花した。 2007年に内閣府特命担当大臣で初入閣時、「岸田大臣室の心得」として定めた五箇条に、早稲田大学校歌に歌われる「進取の精神」という一箇条がある。第2次安倍内閣の外務大臣を担当していた頃の話では、年一回の早大議員同窓会「国会稲門会」には参加していない。 もともと口下手だが、父の選挙応援の頃から演説は鍛えられ、街頭演説は得意としている。自民党の政治家が街頭演説に力を入れ始める前から、岸田は街頭演説に熱心であった。選挙と関係なく地元広島の街頭で演説するということを新人の頃から続けているが、外務大臣になる頃には人が集まり過ぎて迷惑となるので控え始めた。しかし自民党に大逆風が吹き荒れた2009年の第45回衆議院議員総選挙では邪険にされ、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島前で演説をしたところ、「自民党のボケが何しにきたんじゃ、ワレッ!」「自民党の議員がファンだなんて縁起が悪いんじゃ」などと罵倒された。この大逆風下では、父の代からの後援者さえも、岸田は支持するが自民党は支持しないと冷たく宣言した。 並み居る各国外相の中でも酒豪として轟くロシアのラブロフ外相が2013年11月に来日した際には、夕食会で広島の地酒を相手の杯につぎ、3時間にわたって酒量を競い合った。のちにラブロフから豪華な装飾本を贈られたが、表紙を開けると中にはウォッカの瓶が入っていたという。岸田は外相時代、ラブロフに日露両国の歴史上の主張はお互い譲れない一線があるが「未来」に向けた妥協点を探そうと言い続け、次第にラブロフの表情から厳しさが和らいだという。同様に中国外相王毅にも「未来」に向けた妥協点を探そうと言い続けた。ある時、岸田と王毅は2人だけで話し合うことになり、王毅は中国人の前では決して使わない日本語を流暢に使って岸田に語り掛けたという。 2020年自民党総裁選に立候補を表明した日の未明、エプロン姿の妻が立つ傍らで食事をとる自身の写真と共に、「夜のテレビ出演の合間に、地元から上京してきてくれた妻が食事を作ってくれました。ありがたいです」と投稿した。仏紙ル・モンドは、「1年前の自民党総裁選では、『普通の日本人』を装うために、台所用のエプロンをつけて彼に食事を提供している妻の写真をツイッターに投稿するなど、コミュニケーション作戦のつもりが大失敗に終わった」と批判している。 特技は「人の話をしっかり聞くこと」と総裁就任会見の場で語っている。政治家の道を歩んで以降、「岸田ノート」と呼ばれる大学ノートを持ち歩いて、国民から聞いたことや愚痴、批評などを書き纏めた上で読み返しており、年間で3冊分、10年間で30冊近くになっている。「岸田ノート」について、2021年8月26日の会見では「聞く力の原点であり、私にとって大切な財産」と紹介している。内閣総理大臣就任後は、環状に座り国民から直接意見を聞く「車座対話」を積極的に開催し、全閣僚に実施するように呼びかけている。 マスク着用を緩和すべきでないという考えを示しながら、海外の首脳と会談する際にはマスクを着けていない事から、Twitterでは「#自分だけノーマスク岸田」というハッシュタグがトレンド入りした。
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