政界入り以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:47 UTC 版)
在米時の岸田は映画を英語で理解して観賞することができた為に、他の日本人児童への対応で教員から助けを求められることもあったという。 学生時代のクラブは、中学時代は軟式テニス部、高校時代は野球部。守備はショートまたはセカンド、打順は1番または3番で、時々6番だった。野球部時代には高橋慶彦と対戦したことがある。三菱製紙上席執行役員・林康司、商工中金社長・関根正裕、東京医科歯科大学准教授・清水則夫らは岸田の開成同期で開成野球部のチームメイト。誰かが失敗したら、みんなでカバーすればいいという宏池会議員としての岸田の信念は、野球のチームプレーから生まれた。 部活が中心だった開成高校での学業の成績は中くらいを確保していたので東京大学は受かると思い、現役は東京大学のみを受験、浪人1年目も東京大学のみ、浪人2年目で東京大学の他に早稲田大学と慶応義塾大学を受験して、早稲田大学と慶応大学はどちらも合格したが、東京大学・官僚コースと思っていた人生は道を外れた。親族のほとんどが東京大学を卒業している中、従兄・宮澤洋一と比べて自分の資質を疑問に思ったこともあったという。 早稲田大学で岩屋毅と知り合い、在学中は岩屋らと繁華街を飲み歩いていた。酒の席で岸田の聞き上手が発揮されたという。早稲田大学出身ではあるが、政治家を多く輩出している早稲田大学雄弁会には参加していない。卒業後、鳩山邦夫秘書となった岩屋から、秘書とは「車の運転」「家庭菜園の収穫」「チョウチョの世話」など何でもするものであると岸田は聞かされた。 日本長期信用銀行に勤務していた際、富士急行社長の堀内光一郎(宏池会第七代会長・堀内光雄の長男で宏池会所属の衆議院議員堀内詔子の夫)が一年後輩で同じ部署にいた。堀内が岸田と飲みに行った際に、通行人とぶつかりトラブルになりかけたが、岸田が間に入り広島弁で「許してやってくれんかのう」と相手に語りかけ、ことなきを得たという。堀内はこの件を回想し、「普段は静かなスタイルだが、腹に秘めている度胸はずば抜けている」と語っている。
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