政界再編期の所属政党の変遷、政界引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 16:33 UTC 版)
「井上一成」の記事における「政界再編期の所属政党の変遷、政界引退まで」の解説
1996年に社会民主党を離党し、旧民主党結党に参加した。同年の総選挙で大阪8区から立候補、小選挙区では落選するも比例復活で8選。部落解放同盟中央本部から「部落出身議員」と公表されており、部落解放同盟の準組織内候補として選挙に当選したこともある。1999年頃、「野中は政界でこそ大物官房長官として肩で風を切って来たが、同和社会では彼の地位は低い。井上一成代議士や上田卓三元代議士の方がはるかに強固な地盤を有している」との怪文書を永田町に流されたことがある。 その後、民主党を離党し、自由党を経て、保守党に入党する。2000年の総選挙では大阪7区から保守党公認で立候補も落選した。この時は疾病による術後ということもあって思うように選挙活動ができなかったといわれている。2003年の総選挙では、自由民主党公認で大阪7区から国政復帰を目指すも落選した。2006年、みずからの議員秘書が、社会福祉法人「ともしび福祉会」(飛鳥会事件の小西邦彦・部落解放同盟前飛鳥支部長が理事長をつとめていた)の理事や評議員に就任していたことを報じられた。
※この「政界再編期の所属政党の変遷、政界引退まで」の解説は、「井上一成」の解説の一部です。
「政界再編期の所属政党の変遷、政界引退まで」を含む「井上一成」の記事については、「井上一成」の概要を参照ください。
- 政界再編期の所属政党の変遷、政界引退までのページへのリンク